2007年01月31日

福田沙紀のウェブログ

福田沙紀
(ふくだ さき、1990年9月19日 - )
熊本県熊本市出身
女性タレント、女優、歌手。

身長156cm、体重45kg。
血液型O型。
家族構成は父・母・弟。
オスカープロモーション所属。
堀越高等学校在学中。


2004年、第10回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し、美少女クラブ31第2期生メンバーとなる。

熊本市立京陵中学校を卒業後、東京都に母とともに上京している。
2006年4月からは堀越高校へ進学。

女優業を中心としているようだが、持ち前の明るさと天然キャラでバラエティ番組への出演も多数続いている。

マンガ家池山田剛の大ファンであり作品はほとんど持っている。

高校の同級生に、八乙女光、鮎川太陽などがいる。
また森高千里は同じ中学出身。

2006年に俳優・石田純一と交際が噂された事がある。
記者会見でその事を聞かれ、スタッフがさえぎろうとするなか、
「大丈夫ですよ、止めるほどの事じゃないですから。」と新人アイドルとは思えぬ対応を見せ、記者達を驚かせた。
石田とは共演した時から仲良くしているが、恋人関係にある訳では無いので、2人で「世間って面白いですね」と話していたという。
その後もバラエティ番組で何度も共演している。

「拝啓、父上様」の撮影現場にて、
干し柿を見て共演の嵐・二宮和也に「これひらめですよね?いや間違ったするめだ!」と話し、
二宮にその天然さを驚かれるとともに、本当に天然である事をばらされる(JohnnysWebより)

ドラマの延長で普段も俳優・高橋克実を「お父さん」、女優・岸本加世子を「お母さん」、アイドル俳優・二宮和也を「お兄ちゃん」とよんでいる。



福田沙紀ブログ


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2007年01月30日

ともさかりえのウェブログ

ともさかりえ
(本名:河原 理恵(旧姓:友坂)、1979年10月12日 - )
女優、歌手、アーティスト、声優、タレント。

さかともえりとして歌手活動していたこともある。
イトーカンパニー所属。


東京都三鷹市出身。
出生地は長野県長野市篠ノ井

堀越学園堀越高校卒、帝京大学文学部国際文化学科中退。

身長168cm。体重45kg。
B78/W55/H81/S24.5 
血液型A型。

近視のため視力が悪く、コンタクトレンズを使用している。

趣味はショッピング。

顔面が曲がっている事をコンプレックスにしている。

特技はテニス、スキー。ちなみに高校時代は天才テニス少女と騒がれていた。

歌手として1996年「エスカレーション」「くしゃみ」がヒット。
2000年発売の「少女ロボット」も椎名林檎プロデュースで注目を集め、久々のヒットを記録した。
また、さかともえり名義でCDを出したこともある。

夫は俳優・演出家・脚本家の河原雅彦。2004年10月27日に東京都内の自宅で長男を出産。

山口紗弥加 - 10代の頃から親交があり、大学にも同期入学。



ともさかりえ オフィシャルブログ
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2007年01月29日

森下 千里のウェブログ

森下 千里
(もりした ちさと、1981年9月1日 - )
愛知県名古屋市中村区出身、
日本の女性タレント・女性アイドル・元レースクイーン・声優。


本名:森 千里(もり ちさと)。

身長166cm。バスト88cm、Fカップ。ウエスト55cm。ヒップ88cm。足23.5cm。
血液型A型。
バグジー所属。

名古屋市立中村小学校、国立愛知教育大学附属名古屋中学校、愛知県立惟信高等学校を卒業、名古屋学院大学中退。

レースクイーンを経て、グラビアアイドルとなる。

均整のとれたスタイルはグラビアファンから支持される。
「雌豹ポーズNo.1」との異名を取り、グラビアアイドルとしての地位を築いた。
演技にも挑戦し、グラビアアイドルとしては比較的多くのドラマ、映画にも出演し、女優として定評を得るための努力を続けている。 

歌手の森高千里関連の芸人やそっくりさんタレントと誤解されることがあるが、
実際は名前が似ているだけで無関係。
なお、物真似の持ちネタとしては「BONNIE PINK」がある。

中京テレビ『TARO』で中村公園のミスタードーナツでアルバイトをしていたことを告白した。

ゲスト出演した『クイズ!紳助くん』にて漢字で「海」が書けず、
解答フリップに通常では見ることのない漢字が書かれており、他の出演者全員が呆れていた
(なお「海」が書けたとしても不正解)。

クイズ$ミリオネア(フジテレビ 2007年1月18日&25日放送)でも、「カレーパーティー」の資金目的に出場したものの、
そのとき出場していたKABA.ちゃんの悪魔の囁きも手伝って「取り付く島がない」を「取り付く暇がない」と勘違いをして誤答退場を喰らった。
6問目NG10万円獲得退場だった。



タレント発!取材レポート情報ブログ「タレポ」
森下千里 編集長の独り言 
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2007年01月28日

木村祐一のウェブログ

木村 祐一
(きむら ゆういち、1963年2月9日 -)
京都府京都市左京区出身のお笑いタレント、放送作家、コラムニスト。

吉本興業所属。
愛称は「キムキム兄やん(キム兄)」「キム」。
現在の妻は女優の辺見えみり、義兄はミュージシャン・音楽プロデューサーの辺見鑑孝。

血液型はAB型。
京都市立西京商業高等学校(現・京都市立西京高等学校)卒。

口癖は「考えられへん!(声を裏返して叫ぶ)」「ありえへん!(左同)」
いずれも、秩序や常識、段取り、気配りなどを無視する人間に向けて発せられる
(ダウンタウン松本の「おちょこぶり」に対して発した事も。)。
常にそういう物に怒っている男でもある。



結婚して子供をもうけたが2005年に2度目の離婚。
2006年1月9日に『ダウンタウンDX』で出会ったタレントの辺見えみりと婚約。
同日、合同記者会見を行い、入籍(自身3度目)を報告。

ちなみに、婚約指輪は0.93カラット。ティファニーで購入。
プロポーズは新宿外苑の外周の車中でした、とのこと。

妻のことはテレビなどでは「えみりちゃん」だが、家では「えみちゃん」と呼んでいるらしい。
辺見は自身のブログで木村を「旦那はん」と呼んでおり、木村は辺見のブログに時々写真で登場する。
また、『ダウンタウンDX』の特番などで夫婦共演することもある。

ちなみに、2006年には自身の浮気騒動が報じられたが辺見えみりはその報道に対し全く相手にしてなかった。

「キムキム兄やん」と呼ばれるようになった由来は、
大阪時代に出演していたダウンタウンがパーソナリティの『ヤンタン』のコーナー名で使われていたのをそのまま使われるようになったため。
最近では義父の西郷輝彦にも「キム兄」と呼ばれて驚いたことがある。

無類の地図好きであることを辺見えみりが新婚旅行先のハワイでの出来事として『ダウンタウンDX』の番組で紹介した。

街中でふと気にした場面を写真に撮って木村独自の目線でツッコミを入れたり漫談をする「写術(しゃじゅつ)」がライフワークとなっており、
年に1度のペースでライブを開催している。
『めちゃイケ』の「笑わず嫌い選手権」でもそれを披露し、和田アキコや久本雅美を唸らせた。

服を買うことが大好きで、要らなくなった服は多くの後輩芸人に譲っている。
時々、後輩芸人を集めて時間制限つきで選ばせる内輪向けのイベントを開催している。
要らなくなった服とはいえセンスの良い服がタダで手に入れられるため、
後輩芸人からはそのイベントを「キムコレ」と呼ばれている。

以前は髪型をリーゼントなどにしていたが、ここ数年は専ら五分刈りにしている。

『ヨシモトファンダンゴTV』で放送されていた「木村web堂」では先輩芸人やニュースで話題になった人のモノマネを披露したことがある。

好きな酒は「GT」。バーでよく注文するらしい。
しかし最近は体の調子を崩しあまり強いアルコールはドクターストップがかかっているらしい。



キム兄のなで肩日記

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2007年01月27日

星野 真里のウェブログ

星野 真里
(ほしの まり、1981年(昭和56年)7月27日 - )
埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)出身の女優。
5人兄弟の真ん中。
エムエイチ企画所属。

青山学院中等部・高等部、青山学院大学文学部フランス文学科卒業。
血液型O型。
身長156cm。趣味は、ピアノ・スケート・声楽・ドライブ。


7歳の頃より児童劇団に所属し、子役として活躍。
1995年5月、連続テレビ小説「春よ、来い」(NHK)でデビュー。
「3年B組金八先生」(TBS)に、金八先生の娘・坂本乙女役でレギュラー出演。

1997年には、昼ドラマ「WHO!?」(TBS)で連続テレビドラマ初主演。

1999年頃、芸名を本名である星野真理から現在の星野真里に改名する。
2000年、JR東海の「X'mas Express2000」第6代ヒロインに選ばれる。


「踊る!さんま御殿!!」では、その朴訥なしゃべり方を明石家さんまからツッコまれ、本番中に3回ほど泣いていることから、
さんまにこのことをネタとして扱われている。

「ダウンタウンDX」に出演した際に、かなりの小声でしゃべるため、ダウンタウンも「難産やったなぁ〜」と感想を述べている。
また、2006年5月に「ナイナイサイズ!」に出演した際にも、極度の緊張のために涙を流した。

2005年8月には、人気バラエティ番組である「ぷっ」すまのスペシャル企画「芸能界ビビリ王決定戦」に出演しているが、
常識離れした手品を見させられた上に、
ラストには、江頭2:50の生陰茎を直視してしまうという経験をしている
(この時、ユースケ・サンタマリアは、「ナイトメアを見た」と言っている)

なお、「3年B組金八先生」シリーズで共演した松下恵(榊原るみの娘)とは、
実際に青山学院の中等部・高等部の先輩・後輩の関係である。
また加藤成亮、滝川クリステルとも同窓。



星野真里 オフィシャルブログ 「ことばあそび」
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2007年01月26日

氣志團のウェブログ

氣志團
(きしだん)
千葉県木更津市出身と鹿児島県出身のヤンキー系ロックバンド。
東芝EMI社所属。

自らのロックをパンク・ロックとヤンキーの融合「ヤンク・ロック」と提唱する。

1980年代の不良行為少年を髣髴(ほうふつ)とさせるリーゼント&学ラン姿と
それに反して甘い青春を歌い上げる彼らは、KISSES(キッシーズ)と呼ばれるファンから熱狂的な支持を受けている。

『めちゃ²イケてるッ!』の人気コーナーだった「数取団」のモデルである。
彼等も公認(ナインティナインと綾小路翔が「オールナイトニッポン」のパーソナリティ同士としてつながりがあったため)しており、
同コーナーにゲスト出演もしている。



メンバー

綾小路 翔(翔やん):VOCAL,DRAGON VOICE,MC&GUITAR
「房総の狂犬」(1976年4月26日生まれ- B型) 誇り高き團長。千葉県君津市出身。DJ OZMAと同一人物。永遠の16歳。

早乙女 光(ひかる):DANCE&SCREAM
「森の堅者」(1月24日生まれ- A型) 千葉県木更津市出身。精神年齢4歳。

西園寺 瞳(トミー):GUITAR
「多摩の大巨人」(10月23日生まれ- B型) 東京都多摩市出身。早稲田大学卒。

星 グランマニエ(ランマ):GUITAR
「薩摩隼人は泣きの竜」(3月1日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。

白鳥 松竹梅(マツ):BASS GUITAR
「はちみつ大好きこぐまちゃん」(3月17日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。

白鳥 雪之丞(ユッキ):DRUMS&DRUNK
「美しき野獣(のけもの)」(1976年5月24日生まれ- A型) 千葉県君津市出身。メンバーで唯一、本名を公開した。(というか、された)




最近では、CM出演、更にゴールデンタイムの番組にもゲスト出演などしている。

2004年11月25日にはベストアルバム発売、同日・弟分の微熱DANJIが氣志團の名曲「甘い眩暈」でデビュー。

2004年11月27日、一連の氣志團現象を総括する氣志團現象最終章のツアーファイナルは、
当初幕張メッセと発表していた会場を変更し東京ドームでGIGを敢行。
ギターの星グランマニエが転落事故(通称【ポトリコポトリカ事件】)で入院したため5人でのGIGとなったが、
無事成功に終わった。
年末には初となる紅白歌合戦にも出場した。星グランマニエの立ち位置には、彼を模した人形の安全太郎君がいた。

2005年12月31日、2回目の紅白歌合戦出演。
曲目は昨年と同じ『One Night Carnival』(スキウタで選ばれたため)。
フルメンバーとしては初の紅白出場である。
紅白ではリーゼントのカツラをとるパフォーマンスを見せたがリーゼントは本物である(2004年の紅白歌合戦でも同様のパフォーマンスを披露した)。
実際紅白で普段一時間以上かかるリーゼントを六分で仕上げたという記録の持ち主でもある。

2006年8月26日、27日の二日間、極東NEVER LAND(通常は富士急ハイランドと呼ばれている)にて『KISHIDAN 10th ANNIVERSARY SPECIAL 氣志團万博2006“極東NEVER LAND”』を開催。
これで全都道府県を制覇した。



綾小路と白鳥はまちゃまちゃの君津市立周西中学校時代の同級生。
同校所在地は君津市のため、二人は正式には木更津市出身ではなく、隣町の君津市出身ということになる。
綾小路と木更津の繋がりとしては、幼少時の一時期、同地に預けられていた過去がある。

綾小路は高校時代の卒業アルバムの写真が丸坊主である事を
「高校生当時は真面目な生徒であり卒業アルバム撮影前に同級生の不良から坊主頭にされてしまった」と言っている。

宇多田ヒカルは綾小路の実家に遊びに行った事がある(2005年11月10日放送の「うたばん」より)。

彼らの曲のタイトルや歌詞は模倣が多いが、パロディとしてこれは誰にでも解るようにしているためである。
特にBOØWY、尾崎豊からの引用が多い。

シングルやアルバムのジャケットも、過去の名盤のパロディである事が多い。
メジャー第一弾アルバムは町田町蔵がリーダーだったINUの『メシ喰うな!』が、続く第二弾アルバムはブロンディの『妖女ブロンディ』(邦題)がモチーフになっている。
ユニコーンの『服部』のパロディである『TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE』のジャケットには『服部』と同じ鳶職人のお爺さんの写真が使用されている。

メジャーデビュー前にウルフルズの「事件だッ!」のミュージック・ビデオに全員そのままの格好で出演している(不良生徒役)。

綾小路はB'z(主に稲葉浩志)好きとしても有名。

「SECRET LOVE STORY」のPVに出演している女優(メイン)はドラマ『タイヨウのうた』主演の沢尻エリカ。

綾小路と同一人物であろうとと言われていたDJ OZMAは、友人という発言をしていたが、
結局彼の結婚報道でやはり同一人物という事が判明した。

ちなみにDJ OZMAは『第57回NHK紅白歌合戦』における騒動を起こし、のちにNHK会長橋本元一が「現場で使いにくい状況だと思う」と述べ、
これにより綾小路・DJ OZMAおよび氣志團がNHK出入禁止となったと報じられた。
また、公式ブログでもこの騒動について「モラルは大事」とコメントした。

綾小路は自分のアイドルとして岡村靖幸の名を挙げTM NETWORKファンである事を公言するなど、
80年代に活躍したミュージシャンを好きな事で知られており、彼等をトークの話題に出す事も多い。

綾小路が最も尊敬する人物は映画ビーバップハイスクールのヒロシ役でおなじみ清水宏次朗である。

綾小路は2006年12月7日に入籍、12月8日の公式のブログにて発表した。



氣志團 オフィシャルホームーページ タコ部屋
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2007年01月25日

石黒彩のウェブログ

石黒彩
(いしぐろ あや、1978年5月12日)
タレント、モーニング娘。の初代メンバー。

服飾関係の道を選び脱退。
その後、LUNA SEAのメンバーだった真矢(しんや)と結婚し、主婦業に専念。
子育て記のエッセー「娘。からママへ-石黒彩のLOVE2子育てレボリューション」を出版した。

北海道出身。
血液型はA型。
「石黒彩」は元来の本名であったが、結婚に伴う改姓と名前の表記変更(読みは同じ)のため、現在の本名は「山田亜弥」。


1997年 - テレビ東京系『ASAYAN』内の『シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション』(優勝は平家みちよ)の最終候補に選ばれるものの落選。
同じく最終候補に選ばれた中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香と共に、課題曲を5日間で5万枚完売すればメジャーデビュー出来ると言う条件の下、
「モーニング娘。」を結成。
課題曲『愛の種』を見事完売。

1998年1月28日 - 『モーニングコーヒー』でメジャーデビューを果たす。

1998年10月 - 飯田圭織、矢口真里と共に、グループ内ユニット、タンポポを結成。

2003年 第一回キッチンニスト大賞(料理愛好家の著名人を表彰)を受賞。(タレント・料理研究家・グッチ裕三と)


モーニング娘。時代の同僚の内、中澤裕子、飯田圭織、保田圭、矢口真里とは現在も親交が有り、仲が良い。
自腹で元同僚の写真集やCDを購入している。

バラエティー番組への数々の出演や当意即妙なトーク等から、モーニング娘。卒業生の中で一番成功していると言われる。

一方で、テレビのトーク番組等でモーニング娘。時代のエピソードを語る際に、安倍なつみの名前が全く出ない所から、
安倍とは仲が悪いのではないかと思われている。

モーニング娘。に入る以前は、北海道女子短期大学服飾美術科に通っていた(芸能活動に専念するために中退)



石黒彩オフィシャルブログ「あやっぺのぶたの貯金箱」
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2007年01月24日

インリン・オブ・ジョイトイのウェブログ

インリン・オブ・ジョイトイ
(Yinling of Joytoy, 垠凌, 本名 顔 垠凌=イェン・インリン、Yan Yinling,
1976年2月15日生まれ。
台湾の台北出身(所属事務所は「中国人」と表記している)
現在は主に日本において活動するタレント、グラビアアイドル、歌手、女優。

「インリン」は本名の一部である。
「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」に登場する銀鈴の中国語読みから付けられたとの説もあるが、
俗説に過ぎない。


所属事務所、並びにジョイトイは、
フジサンケイグループ(フジテレビ、産経新聞社など)を、歴史教科書問題により軍国主義的とみなし、
仕事を原則的に受けず、またその言動は以前からネット上で話題になっていたが、
ブログ開設によりインリン本人もブログで同様の考え方で発言している。
(インリン・オブ・ジョイトイの日記:S cawaii)

政治的発言を行わなかったり、単に前総理大臣小泉純一郎(自民党)を持ち上げる発言をする人が多い
日本芸能界にあって、この姿勢・立場は比較的露出の多いタレントとしては少数派であり、
今までファンでなかった人が注目し始めたケースも少なくない。
なお、コメントに投稿する際「支那」と書くと検閲に引っかかる。

2006年3月18日、イラク戦争開戦3周年(2006年3月20日)を控え、
東京・日比谷野外音楽堂を結集場所として行なわれたデモ「ワールド・ピース・ナウ」にメッセージを寄せ、
米国大統領ブッシュの戦争政策とそれに追従する日本政府を批判している。
(参考:「ワールド・ピース・ナウ」インリンさんよりいただいたメッセージ)。])。

「ワールド・ピース・ナウ(WORLD PEACE NOW)」とは2003年にブッシュ政権によるイラク攻撃に反対するために結成された市民団体・労組・NGOの連合体であり、
世界的にイラク反戦運動が高揚した2003年春には最大約5万人が参加した「非暴力」を掲げる反戦運動イベント。
公安調査庁の発行する「内外情勢の回顧と展望(平成18年年度版)」によると
「(ワールド・ピース・ナウは)過激派が関与する団体や反戦市民団体などで組織(されている)」としているが、
「ワールド・ピース・ナウ」の参加構成団体にかつて内ゲバ殺人や爆弾闘争を行ってきた中核派、革マル派、革労協などの左翼政治セクト系列の団体を確認することは出来ない。

2006年6月23日、テレビ番組『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(NTV系)』にて
小泉総理の靖国神社参拝問題に関して不支持を表明し、
「東アジアは日本のこの行動に対して好ましく思っていない」といった趣旨の発言を行った。

1978年2月15日生まれで2006年に28歳となっているが、
2000年、K1ガールをしていた頃は、76年生まれになっている。
なので2006年で30歳という事になる。

普通この場合事務所は全否定するが「78年生まれというのはあくまで営業用のプロフィールです。このことは公式サイトでも報告していて、ファンならみんな知っています」(担当マネージャー)
と語って年齢詐称を認めている。
公式HPを見るとプロフィールの欄に注意書きとして「営業年齢設定を継続使用中」と記されている。
事務所側は年齢詐称はプロジェクトの一環と発言している。

その為「最年長グラビアアイドル」を標榜するほしのあきよりもインリンの方が年上といった説もあるが、
ほしのあきにも同様の年齢詐称説があるので、実際はどちらが年上なのか関係者しか分からない。

格闘技『ハッスル』の地上波放送で進行役を務めたことが縁で、
2004年12月の「ハッスル・ハウス クリスマススペシャル」」(12月24日 後楽園ホール)より、
悪役集団「高田モンスター軍」のナンバー2であり、
同時に高田アマゾネス軍(モンスター軍の女子部門)のトップであるインリン様として登場。

入場テーマ曲はモーリス・ラヴェルの『ボレロ』。

2006年4月20日のハッスル16(大阪府立体育会館)からはNEWインリン様、略してニューリン様として、
よりパワーアップしたキャラクターで参戦中。

インリン様はM字ビターン(M字開脚による洗脳)のスキルはきわめて高いものの、
格闘技のスキルが無いために、「体の一部」として鞭の使用が許可されている。

ハッスル7(2005年2月11日 愛知県体育館)で、6人タッグマッチながら小川直也との異色の対決が実現、
デビュー戦にして小川からM字固めでピンフォールを奪って勝利した。

同年7月のハッスル11(7月15日 大阪府立体育会館)では川田利明ともタッグマッチで戦い、
こちらはM字固めを回転エビ固めで返されピンフォールを奪われたものの、
直前に投げ放った「体の一部である鞭がロープにかかっていた」として奇跡的なロープブレイク・無効試合の裁定が下っている。
その後、「ハッスル・マニア2005」(11月3日 横浜アリーナ)ではレイザーラモンHGとの6人タッグマッチが組まれた。
結果はレイザーラモンHGがインリン様をHG三角締めで失神させフォール勝ちし、「インリン様」は黄泉の国に旅立った。

それから暫く姿を消していたインリン様は、
「ハッスル・ハウス クリスマススペシャル 涙のラストM字ビターン」(2005年12月25日 後楽園ホール)にて
「この世界で使えるM字パワーが底をついた」と引退を宣言、
ロープにムチを掛けると『さよならの向こう側』に乗せて山口百恵のようにリングを去っていった。

なお、この大会でインリン様が最後の力を振り絞って産み落とした卵であるイン卵様から孵化した生命体が、
日本のプロレス界を根こそぎ壊滅させるだろうと高田総統は断言した。

格闘家としてのインリンは「インリン様」というキャラクターを演じきり、
なおかつ出場した3試合全てで大会のメインイベントを務めたかと思えば、
同時にM字開脚によって「暇で(異性に)もてない」格闘技ファンを洗脳するという、
WWEに於けるディーヴァの役割を担っていたと言える。
(ちなみに彼女がリングサイドで他の試合を優雅な椅子に座り観戦する事を「インリン様がご覧になる試合」、略してイン覧試合という。)

そのキャラクターの徹底ぶりや、屈強な格闘家を向こうに回しての大立ち回りという話題性、
そして僅か一年という短い期間で電撃的な引退という印象的な活動をして、
単なる色物としてではなく、れっきとした格闘家「インリン様」として高く評価する格闘技ファンも少なくない。

東京スポーツ新聞社主催「2005年度プロレス大賞」にて「プロレス話題賞」受賞。

その後、興行や会見で披露される度に鶏卵大〜1メートル超にまで成長を続けたイン卵様だが
(通常、卵が産み落とされてから大きくなる事はない)、
ハッスル16のメインイベントにおいて孵化、
インリンはイン卵様から生まれたニューリン様としてハッスルのリングに再登場。

生後5分強?にして母の敵であるHGから勝利を奪った。

またこの試合は自身初のシングルマッチであり、鋭いミドルキックを放ったり器用に丸め込んだりと、
より戦闘的で凶暴なキャラクターに生まれ変わったという設定を表現するためにトレーニングを積んできた様子がうかがえる。

ニューリン様は母であるインリン様と比較して粗暴なキャラクターという設定であり、
より攻撃的なファイトスタイルや下品な言葉遣いが特徴。
コスチュームもピンヒールから動きやすいブーツに、また卵生であるが故、鳥類の羽をモチーフにした意匠が伺える。
しかし粗暴なキャラは対外アピール向きではないとの判断からか、
記者会見やイベント等には母であるインリン様が登場する場合が多い。

なおニューリン様はイン卵様の中に居た頃に、外部から何らかの衝撃を受けた影響で額に傷を負っており、
その傷を隠すために顔半分を覆うマスクを着用している。
その傷はモンスター軍が勝利する度に癒えていくという設定である。

ハッスル18(7月9日 パシフィコ横浜 国立大ホール)のメインイベントで高田総統に反旗を翻しモンスター軍を離脱。
その原因は、額の傷が高田総統によるものだと知ったためである。

その後ハッスル・ハウスvol.17(7月11日 後楽園ホール)でHGの呼び掛けに応えてハッスル軍に入団、
ハッスルポーズとM字開脚を披露した。

ハッスル・マニア2006では、6人タッグマッチでカイヤを撃破するも、
高田総統の化身ザ・エスペランサーのレーザービターンを受け右胸が爆発、意識不明の重体のうえ乳輪を失ってしまった。



インリン・オブ・ジョイトイの日記
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2007年01月23日

安めぐみのウェブログ

安めぐみ
(やす めぐみ、1981年12月22日 - )

日本のグラビアアイドル、タレント、女優。
愛称は「めぇ」「めめたん」「めぐのやす!」など。

東京都府中市出身。
ハーモニープロモーション所属。

東京都立府中西高等学校中退。

身長160cm、スリーサイズはB85,W58,H87。
靴のサイズは23.5cm、
血液型はA型。


当初は放映プロジェクト芸能部に所属し、テレビ東京系「BiKiNi」に「BiKiNi予備軍」として出演したことがある。
現在はバラエティ番組が主な活躍の場となっている。

リリー・フランキーと出演していたラジオ番組「TR2」では、
リリーの弾くギターにのせて安が歌うというコーナーで歌声を披露していた。
このコンビでCX系「新堂本兄弟」にも出演し、2006年10月25日、
リリーとのユニット「リリメグ」として『おやすみ』で歌手再デビュー。

オリコンの「男性が選んだ結婚したいと思うタレントランキング」、
「いいお嫁さんになりそうな女性タレントランキング」(2006年)では1位に選ばれた。

匂いフェチで、いわゆる中年男性の強烈な足の臭いさえも「臭いけど平気」となってしまう程に様々な「男性の匂い」が好きらしい。
また、体臭からその男性の性格や特徴を言い当てるという特技(?)があり、
2005年10月30日に放映された「新堂本兄弟」(フジテレビ系)でゲスト出演した際に披露され、
目隠しで手の甲の匂いを嗅ぎながらかなり正確に言い当てた。

哀川翔の熱狂的なファンで、レコード・写真集・DVD等多くの哀川グッズを所有しており、
レギュラー出演している『熱血!スペシャ中学』では哀川の魅力を熱く語ったことがある。
また「哀川さんと一緒にカレーを食べた」と言う妄想話まであったり、
以前哀川と番組で共演した時に、興奮しすぎて39度の熱を出したという。

水泳が得意。
「アイドルハンター」のコーナーで、青木さやかと2回水泳対決をして2回とも負けてしまった。

以前は料理はあまり得意ではなかった模様。
テレビ朝日系の『愛のエプロン』では、美川憲一に不味い料理を食べさせた為「あんた、こんなんじゃ食っていけないよ」と言われたことがある。
しかしながら同局『いきなり!黄金伝説。』『たかじん胸いっぱい』にゲスト出演した際、
やしきたかじんが安のファンであることを告白。

一度手術をしても再発するため、過去に3回も手術をした経験がある。
本人の喋り方などから「おっとりとしている」という印象を持たれがちだが、電車内で痴漢を注意したりできる、
とのこと(ダウンタウンDXでの本人発言にて)。



安めぐみのめぇRoom
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2007年01月22日

杉本彩のウェブログ

杉本 彩
(すぎもと あや、本名;松山 基栄(まつやま もとえ)、1968年7月19日 ‐ )
京都府京都市東山区出身
タレント、女優、ダンサー、小説家。
「オフィス彩」の代表取締役。

京都市立修学院中学校卒業、
京都府立北稜高等学校を1年で中退。

身長168cm、体重52kg。
血液型はAB型。
大祖父はドイツ人。


モデルとして芸能界入り、「オールナイトフジ」で中村あずさのアシスタント役を務めた後に芸能活動を本格化。
セクシーな衣装を前面に出したキャラクターでバラエティ番組で活躍。
「夜も一生けんめい。」、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」などに出演して人気を得る。
(「ゴージャス」などのヒットナンバーもある)学祭の女王の異名も持った。
逸見政孝とは縁が深く、デュエットでCDをリリースした。
1993年に逸見がガンで死去したときはショックが大きかったようで、会見でも悲しみをあらわにしていた。

自らが総合プロデュースした化粧品「アンデスティノ」(「デスティノ」とはスペイン語で「運命」を意味し、
「アンデスティノ」は、その「運命」に逆らうという意味の造語)をリリースした。
作家活動も行っており、官能小説「インモラル」を出版。
「女流官能小説家」と題した長編小説を執筆し、話題を呼んでいる。
(「Lesson 0 Love」も出版)

「さんまのまんま」では、その徹底した官能・背徳・エロスの世界観に対して明石家さんまから賞賛を受けている
(「あなたと大原麗子さんと吉永小百合さんは日本のために絶対に子孫を残すべきですよ」)。

石田純一と�純一&彩�名義で、シングルをリリース。

社交ダンスではJADA1級を獲得、頼りがいのあるキャラクターで「姐御」「姐さん」「兄貴」と呼ばれる
(「エロス侍」、ネット上で一部の人々からは「大人のあやや」との異名で親しまれる)。

ロリコンが大嫌いで、常にズバズバと発言。
ホストやセレブにかなりモテるが、本人は全く興味無し。

「愛のエプロン」では未唯と並ぶトップクラスの料理上手という一面が明らかになった
(和食(揚げ物や煮物など)は本人があまり好きでなく、洋食や中華料理を得意とする)。

猫好きであり、猫の肛門のにおいが好きだと発言したこともある。

「恐怖の食卓」では独特な食生活が暴露され、
9人の医師から逆パーフェクト(全員から病を宣告される)されたが、
「野菜って何の栄養も無いじゃない。カロリーの無いものは私は食べないのよ」と発言した。

安めぐみとは恋愛相談に乗ったりと仲が良い。
(熊田曜子との確執がピックアップされたが実際は違い、熊田が憧れを抱いているようだ)



杉本 彩の Beauty ブログ
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2007年01月21日

志村 けんのウェブログ

志村 けん
(しむら けん、1950年2月20日 - )
コメディアン。

本名、志村 康徳(しむら やすのり)。
血液型はA型。
歌手、俳優でもあり、ザ・ドリフターズ(以下、ドリフと表記)の一員である。
愛称は「志村」「しむけん」「けんちゃん」「ケン坊」、
ダチョウ倶楽部の上島竜兵や桑野信義からは「師匠」と呼ばれ、
また本名から「やっちゃん」、「康べぇ」など。
イザワオフィス所属。
身長168cm。

古くは沢田研二、キャンディーズ、最近ではダチョウ倶楽部や矢崎滋、柄本明、藤山直美、意外な所では俳優の金城武など、
お笑い芸人・テレビタレント・テレビ番組・俳優・制作関係者など志村の影響を受けた「志村信奉者」が多数おり、
現代の「日本の喜劇王」と呼ばれることもある。

また、志村のコントの腕は松本人志が絶賛するほどで「憑依芸人」とも呼ばれている。


独身で現在も未婚であり、決してバツイチではない。

ドリフ付き人時代に当時付き合っていた彼女が妊娠し、
結婚をしようとしていたが彼女の両親に猛烈に反対され泣く泣く妊娠していた子供は堕ろされ別れさせられた。
この時、いかりやに「単独行動するんじゃねーよ!」と叱られている。

自動車の運転免許証を持っていない。
ただ、某番組の企画で教習所で車の運転をしたことがある。

芸名の「けん」は、父親の名前「憲司(けんじ)」が由来である。
父親は小学校の教頭をしており、厳格な家庭に育った。
しかし、志村が中学の頃自宅前で交通事故に遭って以来認識障害(と思われる状況)となり、
志村がドリフ入りを決意した頃は物の判断がほとんど出来なかったという。
志村の爺さんコントは、「この時期の父親をモデルにしたもの」と本人は著書で明言している。

愛称は「けんちゃん」、「しむけん」、「けん坊」。
中でも「しむけん」は略語を好む若者の間で定着しているが、「一文字(ら)くらい言えよ」と本人はあまり気に入っていない。
ダチョウ倶楽部からは「師匠」と呼ばれている。

母は志村和子(しむら かずこ)。
母からは「やっちゃん」(本名が康徳のため)と呼ばれている。
氷川きよしの大ファンで、番組の企画でコンサート後の楽屋訪問が実現した際には少女のように喜んでいた。
バカ殿のコントにも出演したことがある(美しい腰元との甘い一夜を期待したバカ殿が、その閨に忍び込むと…)。
兄が2人いる。

「全員集合」などで披露した、スイカを異常に速く食べる芸はすでに伝説と化している
(実はテレビに映らないスイカの裏側部分は削りとられており、身の部分は薄い。通称「ドリフカット」)。
しかし、フジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』での放送内で削られていない通常のスイカでも早食いができることを証明した
(しかしその時の出演者は誰も見ていなかった)

酒とタバコが大好きで共演者や芸人仲間と一緒に飲む事が多い。
「だいじょうぶだぁ」などのコントに使用しているお酒は本物を使っている。
タバコもコント中はタバコを吸っている場面が多くあった。
ドリフ全員がホノルルマラソンに出場した時、志村が途中棄権した後の第1声は「タバコ吸いたい」と言ったほどの愛煙家である。

本人談によればジェリー・リー・ルイスの初期の頃に強い影響を受けた、との事。
また、ソウル・ミュージック通でもあり、かつて音楽誌『jam』でソウル・アルバムのアルバム評レビューを書いていたこともある。

2001年9月24日放送の『世界絶叫映像もろ見え超びっくり人間大集結ギネス来襲スペシャル』(日本テレビ系)で
円周11.0mのフラフープを30秒間で24回転し、
「世界で最も大きなフラフープを(30秒間)回した人」として当時のギネス世界記録に認定される。

2002年1月5日放送の『世界絶叫映像もろ見えびっくり人間緊急来日ギネス爆裂スペシャル』(日本テレビ系)で、
志村と同じ記録を持つスペインの女子高生(当時)、ラウラ・リコと対決し、
志村は11.5mはクリアしたものの、12.0mは16秒で失敗。
ラウラ・リコはこれを成功し、世界記録保持者となる。
なお、2005年8月現在のギネス世界記録保持者はWの辻希美と加護亜依。

未だに独身であるが、昔も今も女性にはモテる。
いしのようことは結婚寸前まで行ったという逸話は有名。
他にも優香や多くのグラビアアイドルなど、女性の噂が絶えることはない。
また今まで付き合った人の中では財産半分持っていった女性もいた
(注:法律上決まりはないが、判例によると同棲期間が長いほど高額な慰謝料が発生する場合がある)。
『ダウンタウンDX』出演時に、高校生の時から同棲を10人ほどしたとコメントした。

大の犬好きでゴールデン・レトリバーなどの大型犬を自宅内で数匹飼っていることで有名である。
番犬にならないというのは前述の通り。

自分自身の事を語るトーク番組の出演は苦手・地声は低音である。
と、2002年5月29日にOAされた「わたしはあきらめない」(NHK制作)で本人が語る。

2004年、「全員集合」コントで、いかりや長介に攻撃するシーンで「本気でやっていた」と加藤茶に暴露され本人も認める
(もっとも、他のメンバーも大同小異であったが…)。
しかし、いかりやはお笑いに関しては完璧主義者だったため、いかりやが求めていた可能性が高い。

日本だけでなく、台湾(だいじょうぶだぁ)、タイ(加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ)、
インド(蚊取り線香のCM)でも知名度が高く、金城武が彼のファンであるのは有名である。

ちなみに担当はキーボードである。
ドリフの過去のバンド演奏でキーボードを弾いている姿が見られる
(しかし、高木は「ギターだった俺が荒井の担当だったキーボードになって、ギターしか弾けない志村はギター担当になった」と発言している。
このことから、しばらくキーボードを担当していたが、すぐにギター担当になったとも考えられる)。

「学生時代、ビートルズの日本公演を観に行き、その時の前座がドリフだったためにドリフの付き人になる決心をした」
(居作昌果の著書にも記述されている)という噂もあったが、
彼が観に行った公演(1966年7月2日昼の部公演)での前座にドリフは登場せず(ドリフの登場は6月30日・7月1日。同公演パンフレットにも明記されている)、
単なる噂であったと、後の志村は語っている。

ちなみに、ビートルズのチケットは、
苦労して手に入れたクラスメイトの女の子に「お前より俺の方がビートルズ好きだから!」と頼み込んで譲ってもらったものだった。

ビートルズの日本公演を観に行った際、持参した一眼レフカメラで1枚のみ隠し撮りをしており、
その写真をパネル化して、TV番組で公開したことがある。
その写真によると、ジョン・レノンが丸いサングラスをかけており、7月2日公演と分かる。
余談だが、同日の公演は、音源・映像とも、一切公式に収録されていない。

弟子に「ジョーダンズ」の山崎まさやがいる。

日本中央競馬会に所属していた競走馬「アイーンベル」の馬主でもある(本名の志村康徳名義)。
その馬のデビュー日にドリフの先輩であり1981年に志村と共にノミ行為で摘発された仲本工事がゲスト出演したグリーンチャンネルの番組『競馬場の達人』の収録のために競馬場を訪れており、
来賓者席から応援していた。

音楽にも造詣が深い。


出身地東村山市への貢献

志村はプライベートで東村山市及び自身の実家に帰ることはほとんどないというが、
「東村山音頭」以来地元への貢献は絶大であり、現在に至るまで人気・評価とも極めて高い。

東村山ネタで人気が出始めた頃、
地元における志村バックアップの動きは元祖「東村山音頭」を企画した東村山市農協が中心であった。
その後東村山ネタが全国的なブームになり、東村山市自体も注目を集めるようになったことから、
市民をあげて応援するようになっていった。


ken's blog: 志村けん公式ブログ
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2007年01月20日

大沢 あかねのウェブログ

大沢 あかね
(おおさわ あかね、本名 大沢 茜、1985年8月16日 - )
大阪府出身のファッションモデル、女性タレント。
テンカラット所属。
祖父は元プロ野球選手で、日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)で監督や球団会社重役も歴任した
大沢啓二。


子役モデルからタレントに転身。
現在でもファッション雑誌のモデルを務め、同世代の女の子から絶大な支持を得る一方で、
水着で男性誌のグラビアに登場するや否や人気を博す。
従来のアイドルは、同性から人気を集めれば異性からは敬遠されやすく、異性から人気を集めれば同性からは敬遠される傾向がある中、
同世代の両性から人気を集めた稀有な存在である。

子役タレントとして『おはスタ』(テレビ東京系)『天才てれびくん』(NHK教育)などに出演していた。
2001年以降、学研発行の雑誌(〜2004年5月『ピチレモン』 → 2004年5月〜『Fapri』)にて専属モデルを務めている。

『ごきげんよう』(フジテレビ系)に出演した際に、
「自分と似ていると言われる有名人」として加護亜依(W(ダブルユー))の名を挙げる。
それから程なくして『全員正解あたりまえクイズ』(TBS)や『クイズ!ヘキサゴンII』で、加護とコンビで出演した。 

お笑いタレント・山本圭一(元・極楽とんぼ)との「フライデー事件」のおかげで
バラエティにも多く呼ばれるようになったと後に語っている。
また初めて口説かれた芸能人は山本とのこと。

『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)などにゲスト出演した際には、
島田紳助がこの件について質問するなど、ネタにされていた。

本心かどうかは不明だが「将来はお笑い芸人を目指す」と発言し、中島知子(オセロ)が目標と語る。
自ら編み出した持ちギャグもいくつかあり、「(右肘をさすりながら)こっちはジーコ、(左肘をさすりながら)こっちはフィーゴ(この一連の動きを2回繰り返す)、
(股間をさすりながら)じゃあこっちは?・・・(一呼吸置いて)ベッケンバウアー、ベッケンバウアー♪」などがある。
酒に酔ったときには乱発することも多いという。

関西ローカルの番組に出演する際は大阪弁を使うが、
『おはスタ』等全国ネットの番組ではほとんど使わない。
ハイヒールモモコとは旧知の仲で、関西ローカルの番組では共演が多い。

2006年現在、携帯電話会社auのCMに出演しているが、
他社であるNTTドコモ関連(三菱電機・D880SS)のCMに出演している祖父に対して気まずく感じているとのこと。
                                  2006年1月3日深夜に放送の、「女だらけのかうんとだうん新年会」では、
生放送中に逃亡するという非常識な行動をしている。 



大沢あかね Web Site 「a*kane o*sawa Diary」
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2007年01月19日

夏川 純のウェブログ

夏川 純
(なつかわ じゅん、1983年9月19日 - )
東京都出身
女性アイドル、タレント。
所属芸能事務所はアーティストハウス・ピラミッド。
血液型はA型。

2003年デビュー。
写真集『believe』が初作品。

2004年、テレ朝エンジェルアイ2004の一員として選ばれる。
レイクのCMで注目を集める。

2006年KYOURAKUイメージガール「ミス・サプライズ」。


高校時代は不動産屋でアルバイトしたりと、変わったバイトをするのが好きだったとの事。
なお、高校卒業後のバイト先はカラオケボックスだった。

雑誌に載っていたファンレターの宛先に履歴書を送り、デビューしたという逸話がある(本人談)。

腹筋が割れているのが自慢らしい。
『行列の出来る法律相談所』(2006年5月21日放送分、日本テレビ系)にて石田純一や長州小力に触らせているほど。
腹筋運動は1日100回を欠かさず行うとの事。 

横浜ベイスターズのファンで、好きな選手は三浦大輔投手。

2006年6月29日の対巨人戦(横浜スタジアム)で、『BLOG@GIRLS』の番組宣伝を兼ねて始球式を務めた際、
その三浦にピッチングの指導をしてもらった。
その結果「今までキャッチボールすらやったことがない」(本人談)ほど野球に関して素人だった彼女が、
ノーバウンドでキャッチャーミットに投球することが出来た。
次の始球式の依頼を心待ちにし「いつ依頼が来てもいいよう密かに練習します」とのこと。

なおその試合では主催の横浜が勝ち、その後も連勝が6まで伸びたことで、ハマの女神と呼ばれた。

「夏川 純」という名前が芸名であることを自らテレビ番組などで述べているが、本名は非公開。

写真週刊誌にカリスマ美容師との熱愛を報じられた。本人は否定している。

実際の年齢を隠しているという噂がある。


夏川純公式ブログ 『Natsujunの日記』
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2007年01月18日

木村 カエラのウェブログ

木村 カエラ
(きむら カエラ、1984年10月24日)
日本の女性ファッションモデル、歌手、タレント。
本名:木村 カエラりえ(きむら カエラりえ)。

東京都足立区綾瀬出身。
中央区立佃中学校・東京都立向丘高等学校卒業。
身長154.6cm。B82W59H83。
血液型A型(saku saku初登場時(18歳)のときは自分の血液型を把握できていなかった)。
左利き。
ソニー・ミュージックアーティスツ→SMAエンタテインメント所属(T-BOOMにも在籍)。


父はイギリス人、母は日本人のハーフ。
カエラ(Kaela)とはヘブライ語で「最愛」の意味。
本人曰く「両親はそんな意味を知らず、語呂がいいからつけたんじゃないか」と。
趣味はギター、ピアノ、服作り。
昔、神社で巫女のバイトをしていた。

英語は子供の頃は喋れたが今は忘れて話せないらしい。
ただし、後述のsaku saku番組内では他の出演者より抜群に発音が良い。

また、高校時代から「animo」という名前のインディーズバンドを続けており、
2005年には「...of newtypes」というオムニバスCDにも参加していた。

ノー・ダウトのボーカルグウェン・ステファニーから影響を受けている。
また、ランシドのTIMの大ファンでもあり、自らモヒカンフリークと名乗る。
パンクロック思考や、アーチスト性が高いとの業界からの評判で、
スキャンダラスなフォーカス記事が出ても殆ど影響しない脱アイドル/アンチアイドルの数少ないミュージャンとしてオリジナルの道を確立した第一人者でもある。


好きなお笑い芸人は波田陽区、江頭2:50。
漫画好き。
好きな漫画はワンピース、全然似ていないチョッパーの物まねをsaku sakuの黒幕に伝授した。
最近島耕作シリーズにはまっているらしい。

「週刊少年マガジン」(講談社)で連載中の久米田康治による漫画作品『さよなら絶望先生』にて、
木村カエラを元ネタとした木村カエレという登場人物がいる。

1stアルバム以降作曲者に大物が多く、「happiness!!!」の頃のシンプルさに戻って欲しいと願うファンも少なくない。

「萌え」という言葉が顔を顰めるほど嫌い。
saku saku内でもそういった旨の発言をしている。

小6のときに原宿でカットモデルとしてスカウトされる。
宝島社CUTiEの読者モデルを経験後、集英社ミスセブンティーン2001に選出され、セブンティーン専属モデルとなる。
2003年3月31日、tvk『saku saku』でテレビ初登場。

2004年5月10日、「saku saku」の企画としてインディーズから「Level42」を、
「saku saku」にちなんで390円390枚数量限定で神奈川県のCDショップ新星堂にて限定販売したところ、
2000人以上が殺到して3分で完売。

6月23日、「Level42」でメジャーデビュー。

10月27日リリースの2ndシングル「happiness!!!」は自身出演のCMソングに起用されスマッシュヒット。
12月8日に発売された1stアルバム「KAELA」はオリコンチャート初登場8位を記録した。

2005年3月30日、3rdシングル「リルラ リルハ」をリリース。
オリコンシングルチャート初登場3位を記録した。
「リルラ リルハ」はボーダフォンCMソングに起用され、彼女の存在はもはや全国区となった。
その春、セブンティーンモデルを卒業。10月5日には奥田民生プロデュースの「BEAT」が発売。

2006年1月18日リリースの「You」(キットカットCMタイアップ曲)は東京のFMラジオ局J-WAVEのヒットチャート番組「TOKIO HOT 100」で1月29日に1位を獲得し、
既にその前週まで11週連続1位を獲得して番組記録更新となる12週連続1位を目指していたマドンナ「HUNG UP」の記録を阻止した。

さらに、同年にはキリンラガーCMソングのために再結成されたサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mica Band Revisited)のボーカルに迎えられ、
さらにカエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band名義でアルバムを発売することになった。


Kaela★Blog
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2007年01月17日

亀田興毅のウェブログ

亀田興毅

(かめだ こうき、1986年11月17日 - )
プロボクサー。
亀田三兄弟の長男で、亀田大毅・亀田和毅は弟、亀田史郎は父にあたる。
身長166cm。
階級はライトフライ級(フライ級から転級)。
スタイルはサウスポーのファイター。
2006年12月20日現在、アマ戦績16戦15勝1敗、プロ戦績13戦全勝(10KO)、
最高位はWBAライトフライ級世界王者(フライ級4位)、WBCフライ級世界4位。
血液型はB型。ニックネームは「浪速乃闘拳」(なにわのとうけん)。


2006年3月8日に2度目の世界前哨戦を行い、カルロス・ボウチャンに6ラウンドKOで勝利した。
だが、この試合の決め手となったボディブローが下腹部への反則打撃(ローブロー)ではないかと、
一部で物議を醸した(この時の様子は、実況のテレビカメラにも映されている)。
試合後、ボウチャンは記者に向かって自身が使用したトランクスを掲げ、
股間部分にグローブの跡がついていることを主張したが、この会見の場面を撮影した映像・写真は報道されていない。
なお、このローブローが疑われている場面では、この試合のレフェリーを担当した試合役員・浅尾和信が亀田に対して注意・警告を行わなかったため、
数ラウンドに渡って同様のローブローが疑わしい攻撃が繰り返されることになった。
この浅尾の判断に対して「極度に地元贔屓の裁定である」または「亀田の攻撃が反則であったとしても、それをレフェリーが黙認しているのだから、亀田には責任が無い」という指摘もなされている。

2006年5月5日、3度目の世界前哨戦でカルロス・ファハルドに2ラウンドTKO勝利した。
しかしファハルドは、2005年の試合(KO負け)を最後にリングから遠ざかっており、亀田戦まで約1年のブランクがあった。
その間、ファハルドは空港で働きながら、弁護士になるための勉強をしており、ボクシングから完全に離れていた。
試合では完全にブランクの影響が出ており、足も使えずパンチも遅くと散々であった。
試合後、ファハルドは練習期間が1週間しかもらえなかったことを暴露している。

2006年8月2日に元WBAミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの世界戦を行い、12R判定で勝利(2-1)、WBAライトフライ級チャンピオンとなった。
10代で世界王者となった日本人選手は、ファイティング原田(19歳6カ月)、井岡弘樹(18歳9カ月)に次ぎ3人目であり、
日本人選手との対戦が一切ない戦績での達成は初。
また、12戦目での世界王座獲得は、日本のジム所属選手では歴代5位タイの速さである。
しかし、この試合直後から、その判定結果について業界内外から疑義が沸騰した

2006年12月20日、東京・有明コロシアムにて、
ファン・ランダエタ(ベネズエラ・同級1位)との再戦が行なわれ、12R判定で勝利(3-0)。


公共・公式の場であっても不遜な口利きを貫いている。
本人曰く「敬語は尊敬できる相手だけに使えば良い」。
これらは、プロレスで言うところの「アングル」のように、ある種のショーとして偽悪的態度を装っていると言われている。
また、かつてモハメド・アリがしていたように、わざと大口を叩いて相手のみならず自分自身にもプレッシャーを与えているのだ、とも解釈されている。

2006年8月2日のタイトルマッチの翌日の読売新聞に
「個別の取材ではとても丁寧な言葉づかいで好感が持てた。もうこんなキャラを演じるのは止めたらどうか」という内容の記事が掲載されていることからも、
態度の悪さはTV用のパフォーマンスであることが窺える
(過去にも、週刊ポストや週刊文春の記事に「素顔は礼儀正しく、敬語も正しく使える」旨の記述があった)。
しかし、これら一連のパフォーマンスの真意は必ずしも世間に伝わっているとは言えず、
その傲慢とも受け取れる態度に関しては、世論も賛否両論に分かれている。
TVワイドショーのコメンテイターの中にも、やくみつるのように「ですます調で話せるようになりなさい」と注意する者もいる。
しかし、父・史郎はそんな息子の態度を「青春の1ページ」などと言って擁護し、
批判的なコメンテイターやマスコミの意見に反発している。
興毅本人も、数々のバッシングに対し、少なくとも表向きには動じた様子は見られない。

一部では「亀田兄弟は下に行くに従って態度が悪くなっていく」とも報道されている。
これは、「パフォーマンス用に作られた興毅のチンピラ的態度」を見てきた弟の大毅や和毅が、
その「チンピラ」の表層だけを真似てしまい、きちんとした礼儀などを学ばずに育ってきたためではないかと見られている。

カルロス・ファハルドが同席した世界前哨戦の記者会見において、
減量に苦しむファハルドの目の前で骨付きチキンを頬張り、清涼飲料水を一気飲みして挑発。
また同戦の前日計量においては、ファルハドの写真を貼ったフライパンを素手で折り曲げていた。

ライトフライ級タイトルマッチとなったファン・ランダエタ戦の前日計量においては、
ハンバーガーを食べながらキューピー人形(ファン・ランダエタのあだ名『ベイビー』にちなんだもの)を渡したが、
ランダエダはジョークと受け取り笑って対応した。
ランダエタは返礼として、試合前の計量の時に紙おむつとおしゃぶりを手渡そうとしたが、
興毅はそれを見るなり受け取ることなく床に叩きつけた。
その後、史郎がランダエタに興毅との握手を催促するが、ランダエタは拒否。
それに対して史郎は「おまえがオムツしとけや!コラァ!」と恫喝していた。

戦歴に現れているように、デビュー以来日本人選手との対戦が一度もなく、このことも一部では批判の対象となっている。
日本フライ級チャンピオンの内藤大助は、かつて興毅に「六回戦レベルの選手」などと挑発されたのを受け、
現在に至るまで何度となく公式に対戦を希望しているが、試合は未だ実現していない。



亀田興毅 ブログ『浪速乃闘拳』
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2007年01月16日

マナカナのウェブログ

マナカナ

日本の双子の女優・タレント・
三倉茉奈(みくら まな、1986年2月23日 - ) と三倉佳奈(みくら かな、1986年2月23日 - )の2人をいう。
芸能活動の大半を2人揃って行っており、2人合わせて「マナカナ」と呼称される場合が多い。

大阪府大阪市平野区生まれ。


児童劇団に所属し、5歳からCMに出演。

1996年に放送されたNHK『連続テレビ小説 ふたりっ子」』ヒロイン、麗子・香子の少女時代を演じて注目を集める。
2人の好演が好評を博し、ドラマ終盤には麗子の双子の娘、真実・玲実として再登場を果たした。

2003年には『女と愛とミステリー 獄門島』(テレビ東京)で初めて3つ子の役を演じた
(茉奈が花子と雪枝の2役、佳奈が月代を演じた)。

2004年4月より共に関西学院大学社会学部在学中。
受験の際はAO入試で芸能活動をアピールしたという。
学内ではバスケットボールサークルに所属している。
また、2人共同じゼミに所属。2007年1月10日『徹子の部屋』(朝日放送)より。

大のお笑いファンとして知られ、近年はバラエティ番組の出演が多い。
2005年の『M-1グランプリ』(朝日放送)では決勝戦のVIPゲストとして出演した。

大阪出身で現在は兵庫県在住だが、関西以外のイベントやローカル番組に出演する事も多い。
旅番組やイベントで地方を訪れることが多く、47都道府県すべて訪れたことがある。

2007年新春もズバリ言うわよ細木VS超豪華有名人!の番組鑑定中、細木数子が姉の茉奈の態度が気に障ったらしく、
即鑑定終了されてしまい、収録後2人共泣き出すというハプニングが起きた。

二千一夜のミュウ
(1997年3月20日、コロムビアミュージックエンタテインメント CODC-1187、NHK朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』挿入歌)
オリコン89位、CDTV91位

アップトゥミー
(1997年8月21日、コロムビアミュージックエンタテインメント CODC-1314、
テレビ東京『64マリオスタジアム』エンディングテーマ)

おどるポンポコリン
(1998年7月1日、コロムビアミュージックエンタテインメント CODC-1517、
フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』5代目オープニングテーマ)

じゃがバタコーンさん
(1998年7月1日、コロムビアミュージックエンタテインメント CODC-1518、
フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』6代目エンディングテーマ)

ちびまる子ちゃん<CDコロちゃん/コロちゃんパック>
(1998年7月18日、コロムビアミュージックエンタテインメント CODZ-3081、COTZ-3081)

二月のわた雪
(2007年1月31日、ユニバーサルミュージック UPCH-80002、
日本テレビ系「歌スタ!!」2月度オープニングテーマ、ABCテレビ「ビーバップ!ハイヒール」、
1・2月度エンディングテーマ、テレビ愛知「遊びに行こっ!」エンディングテーマ)


双子であり、医師に「二卵性双生児」であると診断され、
周囲のみならず当人らもそう思っていたが、
2006年10月25日に放映された『ザ!世界仰天ニュース』内で唾液によるDNA鑑定をしたところ、
「一卵性双生児」である確率が99.9999999999994%と診断された(ちなみに一緒に鑑定したザ・たっちは99.9999999999992%)。

この長年の誤解が生じた理由は、
「妊娠中に胎盤が2つあれば二卵性、1つなら一卵性」という判断方法が以前に、医師の間で行われていたため。
近年その判断方法は誤りであるということが判明している。


マナ・カナ のスマイルブログ
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2007年01月15日

ウエンツ 瑛士のウェブログ

ウエンツ 瑛士
(うえんつ えいじ・Wentz Eiji、本名同じ 1985年10月8日 - )

俳優・タレント・ミュージシャン。
東京都三鷹市出身。
てんびん座、O型。

学校法人武蔵野東学園武蔵野東小学校-武蔵野東中学校卒業。
日本大学櫻丘高等学校卒業。
バーニングプロダクション所属。

シンガーソングライター・デュオ「WaT」のメンバー。



NBA選手に憧れ小・中・高とバスケットボール部に所属(中学時代には関東代表に)、
部活引退後は地元のクラブチームに入っていたことも。
小学生時代は器械体操や野球のクラブ活動もしていた。

冬になると決まった友人らとスノーボードに行くらしく、かなりの腕前らしい。

かなりのドラゴンボールマニアで、
『ダウンタウンDX』では同じくドラゴンボールマニアのえなりかずきと互いにマニアックなクイズを出し合い、
他の出演者やスタジオの観客をドン引きさせていた一面も。
(このなかで、ネイルの戦闘力をえなりが「45000」と答えたのに対し、
ウエンツはすかさず「正解!」と言ったが実際は「42000」。正解より笑いを優先したと思われる)



家族

家族構成は父・母・5歳上の兄・ウエンツの4人。
ウエンツ以外は全員英語が話せる。

両親がウエンツに英語教育をしなかったのは「日本で暮らすのだから」「どちらの言葉も中途半端にならないように」という方針から。
父親はドイツ系アメリカ人で目の色はグリーン(緑・蛍光黄色)。
仕事で来日、母親と社内恋愛で結婚。
名前はマイケル。

母親は英語しか話せなかった父と会話するためECCに通い、
最終的に優秀賞を受賞するほどの腕前に。

兄はまるっきり日本人の顔をしており、一緒にいても兄弟に見られたことがない。
しかし自らECCに通い勉強したため、英語はペラペラでアメリカの大学へ留学経験もある。
非常に兄弟仲が良く、ウエンツは優しくておっとりしている兄のことが大好き。

父親は叱るときなど感情が高ぶると英語が出るらしく、
そういう時はひたすら「Yes… Yes…」でごまかす。

本人曰く「英語を喋れる遺伝子がどこにあるのか見つからない」。

またウエンツ以外の全員がゾロ目の誕生日(母親は7月7日)。
そのため母親はウエンツも何とか10月10日に産もうと頑張ったが、結局8日に誕生。
ゾロ目に生んであげられなかったことをとても悔やんでるらしい。

両親は共働きなため、子供の頃は母方の祖父母の家で過ごすことが多かった。
おばあちゃんには「瑛さん」と呼ばれている。

一人暮らしをしている家で飼っている犬は「オザワくん」といい、
名前の由来はスピードワゴンの井戸田が相方小沢に引っ越し祝いでプレゼントしようとしたが、
小沢が大の犬嫌いだったため譲り受けたことから。
普段は「オザ君」などと呼んでいる。
犬種は、ワイヤーヘアード・ミニチュア・ダックス。

同じく家では猫の「ナナ」も飼っている。
ナナは子どもの頃に拾った雑種の猫で、始めはどうにかして頭の上で飼おうとしていた(当然断念)。

1985年10月8日誕生。
生まれた時は白に近い金髪で、目の色も現在よりグリーンがかっていた。
大人になるにつれて髪も目の色素も徐々に濃くなったらしい。

子どもの頃は金髪であったため、クラスでひとりだけ「金髪」「外人」と呼ばれたり、指を指されたりしていた。
あまり多くを語らないが、外見による偏見で辛い経験をしてきている。
また英語が話せないことも含め、外見と中身の相違に強いコンプレックスを抱いてきた。
後に本人は、「コンプレックスが武器に。人生は何が奏功するか分からないものです。」と語っている(19歳当時)。

小学1年生の時、周りから違う目で見られることで改めて「俺、アメリカ人なんだ…」と意識しだす。
小学4年生の時、3年生から英語の授業が始まったため一生懸命勉強していたが、
「俺、英語しゃべれねぇ…」と才能の無さに気づく。

小学6年生の時、それまでは英語を勉強している姿を笑われたり外見のことでいろいろ言われることに苦痛を感じていたが、
そのことを逆に笑いに変え「俺の外見、おいしい」と思えるようになり前向きに生きだす。

母親曰く、幼い頃からおしゃべりで1人でベラベラ喋っていたらしい。
小学生の頃には母親に「俺は家の中心にいたいんだ!」と言った。

幼い頃からなぜか英語に拒否反応を示し、「ハロー」と挨拶されても「こんにちは」と返していたらしい。
本人にも理由はわからないらしく「両親も困惑したと思います」と語っている。

美味しくはないが癖になるという理由で蛍を食べていた。
それを見た父親がビックリして叱るが、「エイジ、ホタル、タベタ!!」とカタコトだったため理解できず
(しかし怒られていることは理解できたのでやめた)。

兄は厳しく、ウエンツはわりと放任主義で育てられた。
幼い頃、親に怒られ兄と共に家の外に締め出されたとき、何を思ったのか傍にあったおもちゃで窓ガラスを割り、家に入った。
「この子はちょっとおかしい」と唖然とした親はさらに叱らなくなったらしい。

小学5年生の時、学校で友達からその日そろばん検定の試験があると聞き、
勉強をしていなかったため教室から抜け出し逃走。
迷わずまっすぐ帰宅。
しかし、忽然と姿を消したウエンツに焦った学校側は、仕事先の母親の元に「誘拐された!」と連絡するなど騒動に。

小学校時代のあだ名はシタンツ。(他ウエンツスターソースなど)

野球の試合で、レギュラーではなかったのでベンチにいると、
相手チームに「助っ人外人選手入れてるよ!」と勘違いされ、
試合に出ていないのは最後の切り札であるためかと恐れられていた。

小学校1年から6年までずっとひとりの女の子に片思いをしていたが、
中学生になり告白しようと思った矢先にその子が転校してしまった。
(転校後その女の子から手紙が来て『本当は好きだった』と書いてあり、実は両思いだった)


4歳でモデルデビュー、芸能活動を開始。

多くの雑誌・CMを始め、NHKの人気子ども番組『天才てれびくん』に2代目てれび戦士として登場
(その後5年間に渡りレギュラー出演)。

当時、子役達の間では「舞台の貴公子」と呼ばれ憧れの的だった(元子役談)。

母親は俗に言うステージママではないので、
1人で電車に乗り仕事に行くことも多かった。

『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の「第1回ダンディ小学生選手権」に出演した事がある。

『天才てれびくん』卒業後、すぐにジャニーズ事務所からスカウトがあったが
「踊りが嫌い」「お笑いが好きだから」という理由で断った。
また、それまで所属していた事務所も辞め一時芸能界を引退。
中3から高1の夏まで約1年半、普通の生活をしていた。

その後、16歳で現在の事務所から芸能界に復帰。
ちなみに現在所属しているバーニングプロダクションへは、
それまでの彼の活動に注目した郷ひろみが事務所側に推薦したことによりスカウトされて入った。

馬が好きで、真面目に競馬学校への進学を考えていた
(小学校の卒業文集には「騎手になりたい」と書いている)。
しかし中学の3年間で身長が30cmも伸びたため断念。

学校の成績が大変良く、高校(日本大学櫻丘高等学校)では学年約400名中8位までいった。
本人は国語と数学のどちらも好きで、特に漢文が面白かったと語っている。
しかし、英語は苦手意識が強過ぎてなかなか伸びずテストで赤点をとったこともあるほど。
が、その外見のため高校入学当初には英語のテストで両隣の生徒にカンニングされた。
ウエンツはその生徒達のテスト結果に対し「天罰だ」と語っている。

また、自身が受験の際に通っていた個人塾で塾講師のバイトをしていたことも。
マンツーマンで小学生に国語や算数を教えていた。

高校の文化祭では実行委員を勤め、舞台の照明を担当。意外と地味な作業が好き。

自称ものすごい勉強法を考案、名づけて「全裸勉強法」。
当時ウエンツは部屋にある机の高さが高すぎて思うように集中できず、
床やベッドだと寝てしまうため、いつも家族が寝静まった後にリビングで勉強をしていた。
しかし夜遅いので眠い。
そこで考え出したのが全裸勉強法である。

その理由と効果について「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」
「冬は寒くて眠れないんですよ、全裸だと」「自然と一体化して頭に入る」と語っている。
(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)。


キャラ

端正なルックスにも関わらず、笑いのためならケツも出すと言うほどの芸人根性の持ち主であり、
若手お笑い芸人に近いポジションと言われている。またその実力から多くの若手芸人達から恐れられているらしい。

モデル出身というハーフの美形でありながら、
10代後半にして芸人に混ざりひな壇の常連になるなど、
これまでの芸能界史上で前例が無いと言われる独自の路線を切り開いている。

主にバラエティ番組でのトークに定評があり、
ヘタレキャラや自虐ネタをベースとした泣き芸・キレ芸・リアクション芸を得意とし、
たまにそのシュールな思考回路を披露することも。

笑いに対する貪欲さと勉強量は半端ではなく、
その熱心さは明石家さんま・関根勤・今田耕司など多くの芸人らからも認められるもの。

また製作人の間では、その状況判断力や笑いに対する嗅覚が注目されているらしく、
番組で若手芸人をキャスティングする際にも芸人らと並んでついつい「ウエンツ瑛士」と書いてしまうらしい(放送作家談)。

出演した番組は録画してチェック。

自分の発言の何が使われ何がカットされているかを確認し、
編集のコメントチョイスを研究・分析するなど、恐るべき向上心の持ち主らしい(放送作家・海老克哉談)。

「なんでそんなに」「お前進む道間違ってる」「ウエンツはどこに行こうとしているのか」などといたるところで言われるが、
当の本人に全く変わる気は見られない。



師匠、山崎邦正

尊敬する人は『山崎邦正』。
お笑い芸人の山崎邦正とは師弟関係にあり、毎年一緒に隅田川の花火大会に行っているらしい。
NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。

師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』。
(「つまったら歌を歌え」などもあり)

芸能活動を辞めている間(子ども時代参照)、
花火大会に行った時に山崎から結婚することを打ち明けられた。
山崎は誰よりも先にウエンツにその話をしてくれたらしく、
「嫁のお腹に子どもがおる。お前は俺の息子みたいなもんやから、子どもが生まれたらお前に妹ができるな。」と言ってくれた。
その言葉に感動し、芸能界への復帰を決意したらしい。(『HEY!HEY!HEY!』より)

しかし、ウエンツにとって師匠は「神的存在」であるため、
直接教えを請うのは今田耕司、宮迫博之、品川祐などお笑いの先生である。



ウエンツ瑛士オフィシャルブログ
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2007年01月14日

千秋のウェブログ

千秋

(ちあき、1971年10月26日 -)
タレント・歌手・声優・デザイナー。
本名:遠藤 千秋、(旧姓:藤本)。
京都府出生・千葉県船橋市出身。
血液型はO型。
市原市立姉崎中学校・千葉県立千葉北高等学校・青葉学園短期大学卒業。

既婚。
夫はお笑いタレントでココリコの遠藤章造。
一女の母。

「ジャパン・ミュージックエンターテインメント」(厳密には子会社「エキサイティング・トリガー」)所属。
デビュー当時のキャッチコピーは「不思議少女」。


デビュー前は、「山本千秋」という名でゴールドラッシュというオーディション番組に出場。
父は、日本板硝子の現社長である藤本勝司で、彼女は社長令嬢でもある。

そして美輪明宏からは前世はシジミと言われた事もある。
他に目が小さいことから顔がこけしや日本人形に似てると言われる事もある。
余談ではあるが、容姿が似ているとのことでよく南果歩と勘違いされやすい。

ドラえもんが好き。

スーパークイズスペシャルの「正解は多数決」で、
出川哲朗に、ドラえもんが好きなのにドラえもんグッズがなかったと言われ、
「別れてもチライな人」で、「ドラえもんが好きだからといってドラえもんグッズを持っているとは限らない」という
至極当然な反論をした。

余談だが夫の遠藤章造はあまりゲームに興味が無いがぷよぷよで千秋と対戦した時、
ゲーム初心者の遠藤のためにハンデとして千秋が一番難しいレベル、遠藤が一番簡単なレベルで対戦したが
それでも千秋に完敗したと遠藤は話していた。

廃墟マニア。

食べ物で好きなのは苺とチョコレート。

そしてその当時は交換日記をしていた。
初めてできた芸能人の友達は大塚寧々。
結婚後『ロンQ!結婚後の夫婦共演は「仕事とプライベートは分けたい」という遠藤の意向から数えるほどしか実現していない
(ちなみに千秋は夫婦共演する事は嫌ではないらしく夫婦共演した時は照れ気味でばつが悪い遠藤と違って
ノリノリでやっている事が多い)。

そのため結婚後の夫婦共演はそのほとんどが遠藤に内緒で千秋が現れるというドッキリ形式で行われている。
ただ夫の遠藤章造は今でも千秋は料理が出来ないと笑いのネタにしている。

オーディション番組「ゴールドラッシュ(1991年10月〜1993年3月)」(フジテレビ)の初代グランドチャンピオンになり芸能界デビュー。

「ウゴウゴルーガ(1992年10月〜1994年3月)」(フジテレビ)で
準レギュラー「ちあき&ちなつ」として大坪千夏アナウンサー(当時)と共に漫才。

(1995年〜2002年)(日本テレビ)から誕生した「ポケットビスケッツ」で活躍。

千秋の歌手になりたいと言う夢はポケットビスケッツと言う形で実現したが、
千秋が一人前のパンク歌手として活動するために卒業する。

番組では、「も〜っ!一生懸命やったのに!」と言うギャグ(?)余談になるが、
遠藤章造が東京に来て初めて生で見た芸能人はなんと千秋であった。

街で偶然に千秋を見掛けた遠藤はそのまま後をつけたらしく、千秋もその事を憶えていた。

帝王切開での出産だったためあらかじめ出産予定日が決まっており、夫の遠藤は出産前に初産で不安になっている千秋を励ます予定だったのだが、
寝坊で遅刻してしまい出産前に会えなかった。

そのかわり2006年6月頃からブログ上でだけ娘を「苺」と呼ぶようになった。



千秋のブログ【苺同盟】
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2007年01月13日

堀北 真希のウェブログ

堀北 真希

(ほりきた まき、1988年10月6日 - )

女優。
愛称は真希ちゃん、まきまき。
東京都出身。スウィートパワー所属。
身長160cm、スリーサイズはB78 W58 H80。
血液型はB型。


2002年 - 中学2年生の時、部活動の帰り畑道でジャージ姿でスカウトされる。
当初断ったものの、1ヶ月程して関係者による自宅訪問を受け芸能界入りが決まる。

2003年1月 - ドラマ『いつもふたりで』でテレビ初出演。
(この作品がデビュー作となるが、出演シーンは最終回のエンディングのほんの数秒だけ。)

2003年7月 - 映画『COSMIC RESCUE』のヒロイン役オーディションに合格し、同作で映画デビュー。

2003年10月 - ドラマ『ケータイ刑事 銭形舞』でテレビドラマ初主演。

2004年2月 - 映画『渋谷怪談2』で映画初主演。

2004年3月 - レミオロメンの3rdシングル「3月9日」のプロモーションビデオに出演し、話題を呼ぶ。

2005年3月 - 公式ファンクラブ「ほりきたコレクション」発足。活動開始。

2005年6月 - ドラマ『電車男』では、主人公の妹役を好演。

2005年10月 - 『野ブタ。をプロデュース2006年4月 - 『クロサギ』吉川氷柱役でヒロインを好演。

2006年10月 - 『鉄板少女アカネ!!』で、地上波のテレビドラマ初主演。

俳優を主軸に活発に活動しており、次項にもあるように各種新人賞を受賞するなど、今後を期待されている女優である。


中学時代は生徒会で副会長を務め、部活動においてもバスケットボール部に所属し副キャプテンとして活躍した。
が、高校では芸能活動の事もあり部活等には参加していない。

和食が好き。
苦手な科目は数学。
絵を描くことは苦手。

ジェットコースターも苦手。
好みの男性は面白くて楽しくて歌が上手な人。

2006年2月 - 2006年エランドール賞新人賞受賞。
2006年2月 - 第10回(2005年度)日本インターネット映画大賞新人賞受賞。
2006年3月 - 第29回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。(『ALWAYS 三丁目の夕日』)
2006年3月 - 第43回(平成17年度)ゴールデン・アロー賞新人賞受賞。



ほりきたコレクション
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2007年01月12日

小倉 優子のウェブログ

小倉 優子

(おぐら ゆうこ、1983年11月1日 - )

”自称”「こりん星」(千葉県茂原市萩原町)出身のグラビアアイドル、女性タレント、バラエティアイドル。
血液型はB型。
アバンギャルド所属。


千葉県立東金高等学校を経て法政大学二部文学部心理学科卒業。
部活動は、演劇部に所属していた。生年月日は女優の須藤温子と同じ。

自分のことを「こりん星」という星からやってきた「りんごももか姫」だと言っている。
これは彼女なりのシュールな冗談であり、
自ら笑いのネタに使うこともある。

これについては小倉本人がフジテレビ系『グータン』(フジテレビ系)で同様の発言をしている。
とはいえこりん星について他の芸能人につっこまれ過ぎるとなげやりに答えるようになる。
その影響で写真集では手錠シーンを撮影した。

好きな色は黒。
黒いオーバーニーソックスを穿くことが最近増えている。

千葉ロッテマリーンズとオリックス・バファローズのファン(昔は阪神タイガースのファンだった)。
結果は、(2005年の)ロッテの絶好調ぶりも手伝い小倉優子の勝ち。

身長は162cmあり、145cmくらいだったら良かった、と雑誌のインタビューで答えたこともある。
初期は下ネタをよく使い、デビュー直後のセルフプロモーションビデオでは笑顔で「うんちっ」と言ってポーズをとったり、
当時出演した『THE夜もヒッパレ』では「三宅裕司さんとお泊まりしちゃったんです!



デビュー当時

デビュー当時は現在のようなキャラではなく、
事務所の先輩・山川恵里佳に影響された為、山川のようなキャラだった。

またデビュー当時あった多数のホクロを除去したとも言われている。

このラジオでは、城島、極楽(特に加藤浩次)にいじられるキャラが定着していた。

代表的なものには、ビーフシチューにチョコレート、コロッケにもチョコレート、
肉団子甘酢あんかけには、甘酢あんにはちみつ。

また、2006年6月14日の放送では、麻婆豆腐に水あめを入れてしまい、
自分で食べてみて「飲み込めない…」と言っていた。

また、この時、VIP食材の豚肉を使わず、間違えて牛ひき肉を使ってしまい、さらに下位ランクに降格してしまった。
なお、さんまのスーパーからくりテレビで、
明石家さんまに「あほんだら」と言われたことをネタに八木亜希子から合格の鐘を鳴らされ(さんまは反対した)、
中国旅行を手にした。

『謎を解け!まさかのミステリーしかし、本人はその後この発言を完全に忘れてしまい、
後にこの時のVTRから「この後小倉優子は何と言ったでしょう」という問題が出た際はまったく違う答えを書いていた。
しかし、経済評論家の森永卓郎が「えっ!こりん星人じゃなかったんですか?」とつっこみを入れ、
そのつっこみで気づいた加藤に「今、日本人って言ったろ?」スタジオにいた出演者・番組スタッフ・観客の全員が大爆笑となった。

財団法人警察協会が作成したストーカー対策ビデオ『なくせ! いちご姫が岡村隆史と食事した際に、
「今の小倉優子のキャラは私のをパクった」(イチゴの馬車、トイレではイチゴの用をたす等)と発言したと岡村がラジオで語っている。

また、「こりん星人」の元ネタは、
かつて自分のことを「へきる星」からやってきたと言っていた(現在は普通の人間に戻ったと言っている)、
声優で歌手でもある椎名へきるのネタ。

冒頭で「○○りんこ」ではなく普通に「○○です」と答えて他の出演者がツッコんだ。クイズ!日本語王』(TBS系)で、
「ゆうこりん」の区切り方は「ゆう・こりん」なのか「ゆうこ・りん」なのかと言うことを司会のウッチャンナンチャン内村光良に問われたところ、
後者が正しいと答えた。

後にさらに泣きじゃくる小倉に、ゲスト全員で小倉をなぐさめた。

あまりの小倉の号泣に一番当惑していたのが司会の田村淳で、
「これはバラエティーだよ。

最近ではメイドのコスプレをしてSDメモリーカードのキャラクターにもなっている
(参照:BARKS「限定販売! クイズ!ヘキサゴンII』に出演した際、
「小倉優子がこれまでについた最大のウソはもちろん?」というお題が出され、
他の出演者のほとんどがこりん星のこと自体がウソであると答えたが、
小倉本人はこりん星は生まれた所ではなく育ったところであり、
こりん星出身であることがウソであると答えた。
当然のことながら、出演者から一斉にブーイングを受けた
(もちろんこれは、小倉が「こりん星はちゃんと存在する」としたものに対して)。

でも現場に優子が行かなかったら大変なことになるから、行かなきゃなんない」と発言。
また司会の明石家さんまが「かわい〜ねぇ。最近ロリータ系の雑誌などで表紙を飾り人気を得ていたが、
ラジオで小倉優子自身が「コスプレですよね〜」という発言をしてしまい、ロリータ支持層からの支持率が低下した。

笑っていいともの有名人が変身するコーナーで悪気がないが、毒の有るコメントが多いことから、
最近は毒こりんとしていじられてる。



仲の良い芸能人

辻希美である。

市川由衣のブログによれば、小倉とは2006年春のオールスター感謝祭で3年ぶりに再会したそうだ。

って質問に対して、小倉は「綾瀬はるかちゃん」と答えていることから、今でも彼女たちへの熱い思いは十分に有ると思われる。『運命の数字』(テレビ朝日系)でビビる大木が「レギュラー5本の内3本がバーター出演(業界用語で抱き合わせ出演を意味する)」である事を告白すると自身も同事務所の先輩眞鍋かをりのバーターである事を明かした。その為ビビる大木と共感し合っていた。笑っていいともでの共演以来品川庄司の品川祐に健康面でのアドバイスを貰ってダイエットを始めた。


芸能人との確執

その独特なキャラクター故か芸能界では結構敵が多く、彼女を嫌う芸能人も存在する。

デビュー当時『奇跡体験!アンビリバボースタジオでのトークの際、
今の様なキャラクターではなかった小倉に「お父さんもイビキうるさい?」と関根が何気なく質問したが、
小倉は関根の質問を無視し「それは置いといて」と連発。

「人が聞いた事は、ちゃんと答えてよ〜」と関根は笑顔で対応していたが、
その回ではその後、関根は小倉と口をきいていない。

同番組ではこの日の放送を皮切りに、年末の特番にかけてこの企画を連続ものとして放送し、
“スペシャルの日に泳げるか?”と語っていたが、
デビュー直後のセルフプロモーションビデオには楽しそうにゴルフをしている小倉の姿が収録されている。

その後浅田がリベンジを果たそうとしたものの、
浅田の助っ人である横峯良郎が、
娘の試合で来られないなどの偶然も重なり(小倉の助っ人はゴルフが得意な関根勤)、
またもや浅田にとって不利なルールで試合は開始され、結局浅田の負けで罰ゲームが決定してしまった。

浅田の罰ゲームは同番組の「ご長寿早押しクイズ」に50歳になったばかりの浅田が出場するという屈辱的なもので、
浅田は番組中「私は浅田さんのことが大好きですよ」と言う小倉に向かって、
「もう嫌い!

まさかのミステリー』での発言がVTRで放送された際に、
こりん星の質問をしつこくしていた品川庄司の品川にに対して普通に「バーカ!」

共演した時に(キャラがかぶるせいか)不思議キャラ を止めるよう言われたそうだ。



小倉優子のこりん星のお食事って?
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