2007年02月28日

羽賀研二のウェブログ

羽賀研二
(はが けんじ、本名:當眞 美喜男(とうま みきお))
(1962年7月21日 - )
フロムファーストプロダクション所属
旧芸名は羽賀健二。
沖縄県沖縄市出身。
父がアメリカ人、母が日本人のハーフ。
血液型はB型。

身長183p 体重68kg


多くの戦争犠牲者を出した沖縄で、敵国である米兵と日本人とのハーフとして生まれた彼の幼少年期は凄惨なものであった。
米兵の子を身ごもった事を知った叔父は、胎児を蹴り殺そうと母親を蹴りまくったそうである。

生活は極貧を極め、住まいは長らく電気店の納屋であった。
その為、早くから新聞配達をして家計を助けていた。

小学校時代は、ハーフで赤毛であることを理由に執拗なイジメに合う。
中学時代は、同様の理由で喧嘩を吹っかけられる毎日を送る。

国際学園高等部時代はバスケットボール部に所属し、インターハイ出場歴もある。

卒業後、1981年にミュージカル『ザ・ファンタスティックス』で芸能界デビュー。
また、劇男一世風靡の前身「劇男零心会」にも籍を置いていた。
(劇男零心会には参加していたが劇男一世風靡に参加していない。)

翌年フジテレビ系列の『笑っていいとも!』の初代いいとも青年隊に起用されたのを皮切りに、俳優・歌手として活躍。
かつて梅宮アンナと長期にわたって交際しており、お互いのヌード写真集を出すほどの熱愛ぶりだったが、
梅宮辰夫の反対や羽賀自身の見栄を張りすぎた性格が災いして借金(後述)など数多くの問題を抱えていた。
だが「誠意大将軍」と名乗り、梅宮パパや借金に対して誠意ある対応をしたことから次第に周囲から認められる。
しかし、梅宮アンナとは仲違いをし破局することになった。

2006年、元テレビ制作会社社員でここ数年のあいだ羽賀の身の回りの世話をしていた家政婦の女性と結婚。
梅宮アンナとの破局の真相や妻との出会い、そして結婚式の模様はフジテレビ「Dのゲキジョー」内で紹介された。


有名になった後も発表される生年月日がコロコロ変わった。
デビュー当時は1961年生まれとなっていたが、その後1964年生まれになっていたこともある。
近年は1962年生まれの発表に落ち着いている。

いいとも青年隊時代、楽屋で蚊に刺されて無性に刺された箇所がかゆくなった。
羽賀は血が多量に出るまでかいたあげく、しまいには焼きごてを自分で用意しその傷口を塞いだ。

自動車やレースが趣味で、日本自動車連盟公認の国内競技に出場するための国内A級ライセンスを取得している。

実質的は母子家庭であり、そのため母親想い。
母には家をプレゼントしている。

沖縄県北谷町のアメリカンビレッジにある「南国食堂」のオーナーでもあり、オープン時は不評であったが、
最近はそこそこ評判が良いようである。


KENJI's BLOG


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2007年02月27日

浅倉一男のウェブログ

浅倉一男
(あさくら かずお、1982年7月24日 - )
歌手、俳優。
東京俳優生活協同組合所属。
元ジャニーズ事務所所属。

出身は埼玉県川口市。
身長は173cmで体重は60s。


かつては本名の浜田一男として滝沢秀明らとともにジャニーズJr.のリーダー格で活躍していたが、
写真週刊誌FRIDAYに、穴沢真啓、大坂俊介、尾身和樹とともに、ある不祥事を掲載され、
事務所を解雇された。

現在はメジャーデビューを目指し歌手として活動しながらも舞台俳優としても活動している。


浅倉一男のMonologue
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2007年02月26日

村中かずきのウェブログ

村中かずき
(むらなか かずき、1982年6月15日 - )

北海道出身。
本名:村中 一輝。

ダンスに定評があり、数々の有名アーティストのバックダンサーとして活躍していた。

2006年3月に、オーディションに合格し、
植野堀まことと共に「森田一義アワー 笑っていいとも!」の13代目いいとも青年隊として活動中。

氣志團のバックダンサー「紫SHIKIBU」の一員として活動しているとともに、
DJ OZMAのバックダンサーとしても活躍している。


村中かずき ウェブログ 〜前進〜
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2007年02月25日

石原 真理子のウェブログ

石原 真理子
(いしはら まりこ、1964年2月4日 - )

東京都大田区田園調布出身

女優。
一時期、石原 真理絵の芸名で活動。
血液型O型。


16歳のとき、映画「翔んだカップル」(主演:薬師丸ひろ子、1980年)でデビュー。
またテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年-)に出演。

聖心女子学院中等科・高等科から芸能界デビューのため転校し、堀越高等学校卒業。

1995年にアメリカへ留学。2005年に芸能界に復帰。
バラエティーで面白い天然ぶりを世間にしらしめた事から、明石家さんまが「プッツン女優」と評した。
石原は当時、新語を生んだとして、現代用語の基礎知識辞典にも名を載せた。
所属事務所はキティ・アーティスト→オスカープロモーション→吉本興業→フェアリーエンジェルビクトリー。

2006年5月31日に、『石原真理子』と以前の芸名に戻す。
吉本興業とは2004年契約、一年半所属。
名前を戻した後6月より本格的に女優活動に復帰。

2006年の12月6日、デビュー25周年を記念として自叙伝「ふぞろいな秘密」(双葉社)を出版、
過去の離婚歴、実名とイニシャルを用いての恋愛遍歴を赤裸々に告白。
週刊誌の取材に対し、ある有名俳優(森本レオ)に処女を奪われた事も暴露した。

石原本人は、この本の出版にあたり、自らが経験したいじめ、DV、自殺未遂などを社会問題とみなし、
「同じ苦しみの中にいる方々に勇気を与えて生きる希望を持ち直して欲しい」とコメントしている。

国内での出版会見では実名でのコメントは規制され、生放送内で質疑応答は10分と決められた。
海外メディア相手にも外国人記者クラブで記者会見を開いて流暢な英語で22分間事情の説明をし、後に30分間の質疑応答に答えた。
会見に出席した外国人記者は数人であったが、当日取材だけの日本の芸能マスコミが約100人出席した。



この本の出版にあたっては、賛否両論含め、各方面から様々な意見が上がった。

みのもんたは会見翌日に放送されたみのもんたの朝ズバッ!の芸能コーナーにおいて石原を「露出狂」と批判。

「ちちんぷいぷい」 (MBS、関西ローカル)では芸能レポーターが
「他人の恋愛を実名報道するのはOKで、当事者が実名で告白するのはNGなのか」とコメントした。

各TV局は、本の中に登場する各タレント側へ配慮し、今回の報道に関して各タレントを実名で扱うことを避けた。
この事に関し和田アキ子は、「アッコにおまかせ」(TBS)内で、
「番組で実名を出せないのであればこの話題を取り扱うべきではない」という主旨のコメントをした。

実名を挙げられた各タレントの多くは本の内容について肯定も否定もしていない。

明石家さんまは自分の番組内で、出版前に石原から連絡が来た事を明かし、
「電話チョイスに選んでくれてありがとう」とコメント。
その後、2006年12月24日放送の「明石家サンタ」内ほかさんまの出演する番組で再びこの本の件に触れていた。


石原真理子“ふわっとした瞬間”
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2007年02月24日

おすぎのウェブログ

おすぎ
(本名:杉浦 孝昭(すぎうら たかあき)
1945年(昭和20年)1月18日 - )

タレント・映画評論家。
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。

横浜市立桜丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業。
ファッション評論家のピーコは一卵性双生児の兄。

「おすぎ」の芸名は本名の杉浦から。
オカマキャラを全面に出して1975年のテレビ・ラジオデビュー以来、芸能界の第一線で活躍している
(実際の芸能界入りはデビュー前の銀座の歌舞伎座系列の『歌舞伎座テレビ室(今でいうとテレビ番組のプロダクション)』のテレビ映画の制作進行補が最初との事)

その後『うるとらマンボウ』『おすぎとコージのあぶない関係』にレギュラー出演するようになり、
それ以来KBCには恩義があるのか、
再び売れっ子になった今でも毎週日〜月曜日(スケジュールや気象状況を考慮して土曜から入る場合も有り)は福岡に通っている
(当時から現在まで、KBCアナウンス部及びラジオ制作部には「おすぎお世話係」なるものが存在している)

福岡関連で福岡放送制作の全国ネット番組『所的蛇足講座』に出演したことで全国ネットに久々に出演。
同時期をピーコはファッション評論家の仕事メインで活動していたが、
『SMAP×SMAP』での中居正広の物真似であるヒーコの影響から再ブレイクし、
『おすぎとピーコ』のパッケージとして再びお茶の間にお馴染みとなった。

毎週レギュラーを持つほど福岡での仕事が多い為、福岡ソフトバンクホークスとアビスパ福岡の大ファンであり、
特に川崎宗則を「ソウくん」、新垣渚を「なぎさ」と呼んで可愛がっている。

現在、木曜日レギュラー(2006年春より)の『森田一義アワー 笑っていいとも!』
2006年秋からは自身より古株の出演曜日レギュラー(木曜日)が笑福亭鶴瓶しかいなくなったこともあって、
腹を括ったのかステージ中央の鶴瓶の隣に立つようになった。

またレギュラー出演以前の『笑っていいとも!』以前、
自らレギュラー出演していた『爆笑おすピー大問題!!』で自身のAA(アスキーアート)が紹介され、おすぎはこれを絶賛。

キネマ旬報に寄稿しなくなった理由は不明だが、
キネマ旬報のGW特集(1993年5月)以後、1996年6月までの3年間、おすぎは映画評論活動をしていなかった。

淀川長治との共著が多数ある。

映画のCMにナレーションとして出演することが多いが、
「映画評論家」という本職であり、映画を公平な立場から批評すべきであるにもかかわらず、
特定の映画のCMに高額のギャラを払われて出演するのは問題だと、ビートたけし(北野武)など一部から批判を受けている。

好き嫌いという尺度でしか映画を語れない彼は、映画評論家とは言えないなどの批判も存在する(本人も自覚しているようである)。


おすぎのシネマ言いたい放題
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2007年02月23日

ガチャピンのウェブログ

ガチャピン
(生年不詳4月2日 - )

フジテレビ系『ひらけ!ポンキッキ』『ポンキッキーズ』
『ポンキッキーズ21』『ガチャガチャポン!』『ポンキッキ』に出演するキャラクター
南国生まれの恐竜の男の子供。
体は緑色である。

年齢は永遠の5歳。
身長は165cm、体重は80kg。

初代の声優は矢沢邦江、
現在の声優は雨宮玖二子。


イエティのムックとコンビを組む。

片桐襄二氏(日本ソフト映像倶楽部社長)が原案・デザインし、
眠たげで穏やかなその表情は、同番組を制作した日本テレワークの当時社長野田昌宏ビートルズのポール・マッカートニーがモデルだという噂もあったが、
後にデマであると公表されている

『ひらけ!ポンキッキ』放送初期では「船長」が南の島から持ってきた卵から生まれたという設定で、
のんびりとした内気な性格であった。

その後、行動的なスポーツマンという性格が前面に押し出されるようになり、
番組内でスキー、ロッククライミング、ハンググライダー、スクーバダイビング、空手(極真空手初段)、
体操、ボウリング、フィギュアスケート、果ては宇宙飛行にまで挑戦しているが、どのスポーツも非常にうまい。

地球環境問題に興味を持っており、宇宙飛行を決意したのもこれがきっかけと語る。
設定では両手首に7個ずつあるエネルギーボールが勇気と力の源とされている。

番組内の曲「2100ねん ガチャピンキッド」では地球の危機が迫った時の正義のヒーロー「ガチャピンキッド」に変身している。

『ガチャガチャポン!』では「友情出演」としてバーのマスター役でレギュラー出演し、
キャラクターのガチャパン!からは「師匠」と呼ばれていた。

ムックと共に、フジテレビの各バラエティー番組『笑っていいとも!』にゲスト出演した際に、
中居正広から手首のボールをイボだと思われたことがある。

2006年8月30日の『同年10月23日の『SMAP×SMAP』では、特注のボールを用いて「ルーレットボウリング」に参加した。

1992年5月5日にはNHK「おかあさんといっしょ」のコンサートにムックと共にゲスト出演、
にこにこぷんのキャラクターと共演した事がある。
2007年1月には小西真奈美主演のTBS系ドラマ「きらきら研修医」にゲスト出演・ドラマデビューをした。

また、ニッポン放送、TBSラジオ、文化放送ラジオ番組にもゲスト出演したこともある。

1998年にビッグコミックスピリッツ連載「おごってジャンケン隊」(現代洋子・著)にムックと共に出演したときに、
お小遣いが月50円であると述べている。

2006年7月からウェブログを開始(下部リンク参照)するなど、
スポーツだけではなくいろいろな分野で多彩な才能を発揮している。
意外にも新しい物と流行に敏感のようでよくブログに記事として書いている。

1975年にガチャピンは「たべちゃうぞ」という歌を歌っている(シングルレコードは1975年4月発売)。
「親の言う事を聞かない子は食べちゃうぞ」という内容で、本来は親から子への優しい視線をユーモラスに折り込んだ詞だが、
やはり視聴者から「怖い」などといった反発や苦情が多く、わずか一週間で放送中止になった。

なお、「たべちゃうぞ」は2003年に「トリビアの泉」で紹介された事で「ガチャピンが子供を食べようとする歌」として
再び知られるようになったが、当時のアニメ映像では全く別の怪獣が出ていたため、厳密に言うとこの表現は適切ではない。

Tシャツブランド「ice-mix」より、ガチャピンの体をあしらったデザインのコラボTシャツ「ガチャT」が販売されている。
また、「ガチャピンパーカー」も販売されている。

2005年12月にはタツノコプロパロディキャラクター科学忍者隊ガッチャピンがキャラクターグッズとしてリリースされる。

2006年9月14日、バンダイネットワークス株式会社は、清涼飲料水“ガ茶”(緑茶・2種類)の受注開始を発表した。

2006年冬、タワーレコードがウィンターセールのキャンペーンキャラクターとしてガチャピン・ムックを起用し、
コラボグッズが販売された。


ガチャピン日記
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2007年02月22日

KABA.ちゃんのウェブログ

KABA.ちゃん
(カバちゃん、本名:椛島 永次(かばしま えいじ)、1969年6月19日 - )

福岡県柳川市生まれ
日本の振付師、タレント。

血液型はA型。
熊本県立熊本北高等学校中退。
慶應義塾大学環境情報学部卒業。
アンセム所属。


高校を中退後、ダンサーを目指し単身上京。
しかし、世界トップレベルで学びたいとニューヨークへのダンス留学を決意。
ハイスクールに通いながらハリウッドスターも通う一流ダンス教室で学ぶ。
この時、同居男性に600万円を貢ぐものの相手に香港人の彼氏ができてしまう。

安室の小室哲哉初期のヒット曲の殆どや、2003年に発売されたSMAPの曲『世界に一つだけの花』の振付を担当。

dos時代、話すとついオカマのキャラクターが出てしまうため、事務所サイドから緘口令を敷かれていたという。
そのため『笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」にも、他の2人のメンバーは出演したが、
本人だけ「風邪」という理由で欠席したほど。

2001年に、BSフジで放送された『鈴木あみのアイドルダウンロードショー』では本名の椛島永次でゲスト出演。
出演アイドルに振り付けを教える企画で、アイドルにオネエ言葉で厳しく指導するシーンが放送され、
すでにオカマキャラ(女は嫌)の片鱗を見せつけた。

『踊る!さんま御殿!!』などのバラエティ番組にてゲイであることをカミングアウトし、
以降『笑っていいとも!』など、バラエティに次々と進出。

2004年7月7日に、女性タレントの千秋とのデュエットCD『つらいね赤ちゃん!/最近ハヤリのメイク歌』を
「千秋 with KABA.ちゃん」のアーティストネームでリリースした。
「最近〜」は、アニメ『とっとこハム太郎』のエンディング曲になっていたが、
ハム太郎のファンサイトでは評判が悪かったらしい。

本人曰く、好きな芸能人は乙葉。
彼女が藤井隆と結婚した後も乙葉のファンを熱心に続ける。

現在は振り付け師、タレント活動の他、to be candidateというゲイだけのユニットに携わっており、
プロデューサーとしてメンバー達を育成中である。

オカマキャラの割りには自称「イケメン振り付け師」であり、
賢いイケメンをイメージした「イケメンダンス」や、棒を使って光栄を意味する「光栄のダンス」を披露した時もある。

以前、現在お笑い芸人であるマイケルにダンスを教えていた。
当時、マイケルに本気で恋してしまい告白。
その後KABA.ちゃんは、マイケルに対する態度を豹変、スパルタ指導を繰り返したという(後に和解したらしい)。

母親は放浪癖があり何度も家出している。
とある全国ネットの番組の実家訪問コーナーでKABA.ちゃんの実家が放映された際に
KABA.ちゃんはいつもの陽気な感じで兄弟や父親を紹介するも、
KABA.ちゃん本人が撮影するホームビデオに母が映ったのは一瞬であり、現在でもかなりの確執があると思われる。

所属事務所アンセムの公式ブログには、
以前レイザーラモンHGとのツーショットが掲載されていた。

中日ドラゴンズの投手、佐藤充が「カバちゃん」と呼ばれるほどに自分に似ていることについて、
2006年6月21日付の中日スポーツの一面で
「自分も(佐藤投手が自分に)似ていると思っていた。佐藤投手には一度お会いしてお話したい」と語り、
交流戦での彼の活躍を称えるとともに佐藤投手にエールを贈った。


☆KABA.ちゃんのKABAR GIRL☆
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2007年02月21日

そのまんま東(東国原英夫知事)のウェブログ

そのまんま東

東国原 英夫
(ひがしこくばる ひでお、1957年(昭和32年)9月16日 - )
現在、日本の政治家、知事(宮崎県知事・第17代)。

元お笑いタレント。
ビートたけし率いる芸人集団たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。
俳優、作家。
最終学歴は早稲田大学政治経済学部中退。
タレント時代の芸名は「そのまんま東(そのまんま ひがし)」。


1980年、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」というオーディションに、
「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、
同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1982年3月に付き人となる。

デビュー当初の芸名は「東英夫」であった。

直後、コンビの相棒が芸能界入りする目的であった、人気アイドル歌手河合奈保子を生で見たことで満足、
芸能界を辞めるということでコンビは解散、
やむなく京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、コンビを結成。
師匠たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらって「ツーツーレロレロ」と名乗った。

3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、
東は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもんとコンビを組んで「ツーツーレロレロ」を続ける。

人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。
1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消。

「そのまんま東」の名前の由来は、たけし軍団メンバー全員の芸名を変えるという宴席で、
自分だけ新しい芸名が与えられなかった東が「師匠。私は名前はどうなるのでしょうか?」と聞くと、
芸名を思いつかなかったビートたけしが「お前はそのまんま、“東”だよ」と最初は答えていたが、
途中でいたずらっ気を起こし、「だから“そのまんま東”だよ」と言い切り、これがそのまま芸名となったという。

テレビ番組で細木数子に「テレビに向いてない」と言われたことがある。

不祥事で芸能活動を自粛していた1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、
翌1988年にはTBSでドラマ化、
東自身もたけし軍団の面々と共に出演。
後に結婚することになるかとうかずこもヒロイン役で出演した。


不祥事で謹慎中に、入学した早稲田大学第二文学部では、
卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、
卒業後も同学政治経済学部に再入学して政治学を学んでいる。

官製談合事件で現職知事安藤忠恕が逮捕されことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。

東は、選挙活動にはタレント候補にありがちなタレントの応援を一切受けない作戦を立て、
「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。

宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したそのまんまマニフェストや
無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、
政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、
現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。

知事「東国原英夫」として選挙活動は
芸名の「そのまんま東」で行なったが、県知事に就任してからは本名の東国原英夫で活動している。
報道番組やワイドショーが連日報道したため、宮崎県の注目度が上がった。

東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域において、少なからず見られる姓である。

宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校時代はハンドボール部に所属。
大学は記念受験で早稲田大学、明治大学を受験したが、
地元紙の「大学合格者一覧」には名前がなかったという(本人は合格したと言っていた)。


一男一女を設けるが、16年目にして、
かとうが夫の宮崎県知事選出馬という夢についていけないということで、2006年2月3日に離婚。


新そのまんま日記!




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2007年02月20日

城咲仁のウェブログ

城咲仁
(しろさき じん、1977年9月23日-)

サンミュージック所属。
身長は177.5cm、血液型B型。
東京都板橋区出身。
本名:岡山 純一(おかやま じゅんいち)。
元ホスト。


新宿・歌舞伎町のホストクラブ「クラブ愛」において5年間No.1ホストを務め、
カリスマホストとして数多くのテレビ番組に出演。
ホスト時代から全国にその名を知られる有名人であり、当時の年収は1億円を超えていた。

2005年初頭に突然ホストを引退し、同年タレントに転身。
タレント転進後はサンミュージックに所属、バラエティー番組を中心に活動。

2006年6月21日、酒井政利プロデュースによりフォーリーブスのカバー曲「ブルドッグ」で歌手デビュー。

剛柔流空手初段。

特技は料理。
「いきなり!黄金伝説。」(テレビ朝日系)の1ヶ月1万円節約バトルでは、
かつてイタリアンレストラン「オリーブの木」の厨房で働いていた腕前を生かした節約料理が披露、
対戦相手のほっしゃん。に勝利。

猫ひろしと仲が良い。

ホスト時代に女性客から4LDKのマンションや現金2000万円をプレゼントされたことがあるが、実際は受け取らなかった。

芸能界に入ってもあまり携帯電話に掛かって来ず、
事務所とマネージャーと猫ひろしからしか掛かってこないらしい。

三半規管が弱い為、乗り物酔いをしやすい体質。


城咲仁 オフィシャルブログ『gracias』
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2007年02月19日

金田美香のウェブログ

金田美香
(かねだみか、1984年1月9日 - )

東京都出身
女優、タレント。
身長160cm、血液型はB型。
ZEAL assosiate所属。


松下 めいの芸名でお菓子系アイドルとして活躍し、
本名の金田美香名義で1999年、集英社『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』グランプリを受賞。

同年『3年B組金八先生』でドラマデビュー。
委員長・佐伯蘭子役を演じる。

現在も『王様のブランチ』他テレビで活動中。

常盤貴子の大ファンで、
大ヒットドラマ『愛していると言ってくれ』を見て常盤のヒロインぶりに感激した事が女優を志すきっかけになった。
最近もその気持ちに変わりはなく、2006年11月にTBSで再放送された『理想の結婚』にちなみ、
常盤への思いを自身のブログに書いた。

ブランチで共演している白石みきにはブログ上で「ミッタ」と呼ばれ、
彼女がブログを始めるきっかけとなった中川翔子には「ミカタス」と呼ばれている。

「HeartBeat」の共演者であるタレントの平田裕香は高校の同級生にして親友。
「ゆかっち」「みかっち」と呼び合い、お互いのブログに登場するなどの仲。

近視のため視力が悪く、普段は眼鏡をかけている。


金田美香のブログ『かねだみかのぶっぶろぐ+(プラス)』
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2007年02月18日

神田うののウェブログ

神田うの
(かんだうの、本名同じ、1975年3月28日 - )
横浜市出身
女優・タレントであり、ファッション・デザイナー。

身長168センチ、体重43キロ。
血液型O型。
白鵬女子高等学校卒業。

2006年11月5日、うのが23歳のときに出会い、約8年の月日を経て現在の関係になった
パチンコチェーン店、不動産会社を経営する西村拓郎氏(日拓リアルエステート株式会社社長)と都内料亭にて結納を交わし、
13日、報道陣に億単位の婚約指輪(5caratのdiamond)を披露した。


両親は一般人だが、自身だけでなく2人の弟もまた芸能界に関わっている。

上の弟・伸一郎は、東京農工大学大学院中退。
ハマカーンというコンビを結成し現在NHK爆笑オンエアバトル等で活躍中。

下の弟・昇二郎は、上智大学文学部哲学科卒。
俳優希望でVシネマ等に出演。



1975年、東京都目黒区に生まれる。
本名でもある「うの」は、持統天皇の名「鸕野讃良皇女」(うののさららのひめみこ)が由来、
幼い頃はこの「ひめみこ」をとって両親や祖母から「ヒメ」と呼ばれて育つ。

旧・通商産業省のキャリア官僚(技官)だった父親の仕事の関係で1歳のときにインドネシアのジャカルタに移住。
4歳までインドネシアで過ごしたのち帰国、横浜に居を移す。

特技でもあるバレエは、5歳のときにレッスンを開始。
谷桃子バレエ団に所属する。
1990年には、東京新聞が主催するバレエコンクールに入賞。
バレリーナとしての将来を期待され、
「アジア人はほとんどいない」と言われる、パリにある全寮制のバレエ学校(コンセルバドワール)に見事合格。

だが、日本を離れ、フランスでひとり寮生活をおくることに耐えられず、
先生たちの期待や希望にそむいて世界的プリマとなる夢は断念。

1992年、17歳で中部全日本バレエコンクールのジュニア部門1位を受賞、東京全日本バレエコンクール入賞。

1998年に開催された長野パラリンピックでは、オープニングセレモニーとなるダンスショー「HOPE」で、
バレエの経験を生かし主演をつとめる。

子どもの頃から街を歩くたびに芸能事務所からスカウトされ、何枚もの名刺をもらい続けるが、
家族に反対され実現ならず。本人も「芸能」には興味がなかったが、
当時からファッション好きだった彼女は、モデル事務所からのスカウトに興味を抱き、親を説得。
1989年、14歳でモデルとしてのキャリアをスタートさせる。

広告などのモデルを経て、3年後の17歳のときに雑誌『プチセブン』(小学館刊)のモデルに。

1994年、うのを含むティーン誌で活躍するモデル38名のセミヌードを収めた、
写真家・篠山紀信氏による写真集『少女革命』(幻冬舎)が発売に。

また、モデル以外のこともやらせてみたいという社長の意向を受けて、
同年4月、19歳のときに『オールナイトフジR』(フジテレビ)の司会に抜擢。
これが芸能界での初仕事となる。
その後、頭の回転の速さとテンポのいいトークに加え、キャラクターの濃さでも人気に。


ストッキング・下着(トゥシェ・ウノコレクション)、
ウエディングドレス(シェーナ・ドゥーノ)、ジュエリー(デュノア)などの自己ブランドを建ち上げた。

2005年春には南青山に推定5億円ともいわれる豪邸(通称・パンスト御殿)を建てたことで話題に。

2004年にデザイナーとしてパリコレデビューを果たし、2006年10月にはN.Y.コレクションデビューも果たした。


神田うの公式ページUNO's message
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2007年02月17日

及川奈央のウェブログ

及川奈央
(おいかわ なお、1981年4月21日 - )
元AV女優。
広島県福山市出身。

東京プロデュースセンター所属。

身長161cm。靴のサイズは24.5cm。
B88/W56/H87。
趣味はお香集め、インターネット、マッサージ。

特技は書道と水泳。
好物は焼肉、果物、ゴーヤチャンプル。
嫌いな食べ物はカレーライス、納豆、エビ(アレルギー)。
血液型はA型。


AV女優時代

2000年9月、AV女優としてデビュー。
デビュー直後のアダルトビデオ作品は宇宙企画からの発売。
最初はマイナーな存在でインディーズでの活動が主であり、出演作品数も後述のとおりそれほど多くはなかった。

2001年後半から出演作品が増え始め、
2002年 になるとソフト・オン・デマンドやMOODYZといった有力メーカーの作品にも出演するようになり、
これに比例して出演作品も一気に増え、AV界を代表する女優に成長した。

その後ミリオン(ケイ・エム・プロデュース)の専属女優となり、
2004年末にAV女優としての活動に終止符を打った。


タレント・女優転進

2003年以降はテレビ番組へのゲスト出演やCMへの出演、CS放送への出演、テレビドラマの監督など
飯島愛と同様マルチタレントとしての活動が増えている。

2005年春からはテレビ番組のレギュラー出演も始め、同時にヌードグラビアも引退した。

同じく2005年、初めて担当するラジオ番組、及川奈央のオールナイトニッポンR(ニッポン放送2005年7月16日)が放送。
また、2005年10月17日25:00より、伊集院光に代わっておよそ12分間、TBSラジオ「JUNK」のパーソナリティを担当した
(番組名は「及川奈央の深夜に謝・謝Shake」)。

2005年以降は志村けん主演の舞台「志村魂」やテレビドラマなどに出演することが増えた。


インタビュー等ではきちんと敬語を用いて話すなど礼儀正しい。
愛猫家であり、ブログにはしばしば飼猫の話題が登場する。

初期の宇宙企画作品では、「彼氏」とされる男性が出演していた。
このためか、AV女優としての活動はしばしば「彼氏公認」とされることがあった。

AV作品ではスレンダーであるが、腕には血管が幾重も浮き上がり、
力瘤が浮き出るほど鍛えられた筋肉質の身体をしている。
特に絡みの部分ではその筋肉が逞しくなり、アスリート顔負けのマッチョボディになることもある。

夫婦交換バラエティー ラブちぇんにおいて
「冬は寒いので人肌恋しい」
「(乳首の色は)黒ではない。ピンクの人なんているんですかね」
「(おっぱいの形は)おわん型です」と発言。

好きな男性のタイプ「心が優しい人」「何かに一生懸命な人」
嫌いな男性のタイプ「自分勝手な人」「嘘つきな人」


好きな言葉「Only ONE!」
休日の過ごし方「寝る!」「友達と遊ぶ」「猫 (みく&ラン) と遊ぶ」
好きな場所「自宅 (割とインドア派)」
1週間休み取れたら「4泊6日でハワイ旅行」「あとの1日はみくとランと遊ぶ」
今まで一番嬉しかった事「『及川奈央』になれた事」
夢・目標「『及川奈央』としての可能性を試し続ける!そしていつか小料理屋を持ちたい」


及川奈央の日記

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2007年02月16日

山川恵里佳のウェブログ

山川恵里佳
(やまかわ えりか(本名 大森 恵里佳 旧姓 山川)、1982年3月7日 - )

岩手県盛岡市出身
アバンギャルド所属。
魚座、A型。


1998年、ミス・ヤングマガジンに選ばれ、芸能界デビュー。

藤崎奈々子と仲がよく、DHCコンビニ化粧品のCMなどで共演している。

また、天才てれびくんワイドで2001年度の司会者を務め、
2002年度「ラフィン☆スター」、2003年度「こちらHK学園笑芸部!」でもレギュラー出演するという子供たちと仲の良い場面も見られる。

フラフープが特技。

「クイズ$ミリオネア」(2002年4月4日放送)のSPでは、
唯一の「シャッフルチャンス」で補欠ルームから、いきなりセンターシートを獲得。
ところが、早々とライフラインを使用して7問目で終了。

2005年8月、アンガールズの山根良顕との交際が発覚。
同年5月にウリナリ芸能人社交ダンス部でペアを組んだことや共にテレビゲームが趣味であることが交際に発展した理由のひとつ。
2006年1月9日に山根より「連絡を取っていない」との報道により破局と伝えられる。

2007年1月31日、お笑い芸人のモンキッキーとの結婚が報じられた。
同年2月2日に揃って記者会見、同日に入籍したことを発表した。

DDT所属プロレスラー三和太が「天才てれびくんワイド」に訪問した際、
椅子から転んだ際にフォールを取られたため、
山川がアイアンマンヘビーメタル級王座第93代王者となる(正式)。


山川恵里佳のナチュラルライフ
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2007年02月15日

渡辺満里奈のウェブログ

渡辺満里奈
(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )

本名、名倉満里奈(なぐら まりな、旧姓:渡辺)。


東京都大田区出身。
エイプリル・ミュージック→SMAエンタテインメント所属。

血液型はB型。
中延学園高等学校卒業。


“満里奈”という名は、父親がヨット好きだったため、マリーナに因んで命名されたといわれている。

夕やけニャンニャンの「ザ・スカウト アイドルを探せ」では、月曜日の登場から圧倒的な存在感を示し、
金曜日には高得点で合格を果たした。
その際、とんねるずに「おニャン子は君のものだ!」とまで言わしめた。

翌週の1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。
とんねるず(と秋元康)にかわいがられ、妹分的な位置づけとなった。

おニャン子クラブ時代は同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともにW渡辺、ワタナベズと呼ばれた。
(ただし、二人は不仲であるというのが定説で、満里奈自身はほぼそれを認めている)

おニャン子クラブ在籍中のソロデビュー曲「深呼吸して」は、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)であり、
2001年(平成13年)3月27日、当時モーニング娘。だった後藤真希のデビュー曲「愛のバカやろう」(15歳6ヶ月)が登場するまで、
約15年間この記録は破られなかった。

おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。

その後、とんねるずと秋元康の縁から「とんねるずのみなさんのおかげです」にレギュラー出演、
お笑いの資質も見出され芸歴に幅が拡がり、後の司会業をはじめとする様々な番組の出演への道が開けた。

その頃から本人の意向により、おニャン子メンバーであったことを表に出したがらないようにもなる
(コンサートでもファンに対し、おニャン子時代の応援グッズは持ってこないように通達が出ていた)。

他のメンバーとも積極的に関わろうとはしなくなったが、フジテレビがお台場に移転した際の特番で、
一度だけ『セーラー服を脱がさないで』を元メンバー達と一緒に歌っている。

バラエティ番組においてタモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった
強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合う姿から「猛獣使い」の異名を持つ。

夫はお笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤。
2005年4月5日、テレビ朝日の番組「銭形金太郎」で、共演している名倉との結婚を発表した。
2005年5月5日に婚姻届を提出し、10月23日に東京プリンスホテルにて披露宴を行った。

なお、自身の公式HPでの日記に度々書かれている「彼」「だんなはん」とは、たいてい名倉のことである。


★渡辺満里奈★オフィシャルwebサイト
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2007年02月14日

矢沢心のウェブログ

矢沢心
(やざわ しん(本名:小林 心、旧姓:矢沢)、1981年3月16日 - )
東京都西東京市出身
女優、タレント。

ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。
血液型A型。


1997年映画「バウンス ko GALS」のオーディションに合格してデビュー。

主人公、ヒロインの友人役が多かったが、
2004年に公開された映画「すくらんぶる・ハーツ」では初主演を務めた。

東京都内で生まれ育ったが、小学校高学年の頃から福岡県内に数年間住んでいた。
その後、福岡から再度上京し、芸能界デビューを果たす。

売れ出した頃は、女優というよりもむしろタレントの部類に入る仕事が多く、
バラエティでは元ヤンキー的な激しいキャラをウリにしていた節もある。トークは巧妙でなかなか面白い。

デビュー間もない頃は今からは想像がつかないほどの肥満体質であり、
所属事務所から痩せるように指示され、厳しいトレーニングとダイエットの末、
現在のようにスレンダーで引き締まった身体をつくりあげた努力家でもある。

今では両腕に力瘤が見事に浮き上がるほど筋肉質で、女性アスリートのように鍛えられた身体をしている。

かねてより交際が報じられていたK-1選手の魔裟斗と2007年2月11日に入籍。
結婚会見は、記念日でもある2月13日。




矢沢心 ブログ「ココロのとびら」
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2007年02月13日

相武紗季のウェブログ

相武紗季
(あいぶ さき、1985年6月20日 - )

女優、タレント、アイドル。

愛称は「アイブー」、「ぶっちぃ」、「さきっちょ」、「相武ちゃん」など。

ボックスコーポレーション所属。
身長は165cm。
血液型はO型。

雲雀丘学園中学校・高等学校→日出中学校・高等学校卒業。


『17才夏。〜屋上ガールズ〜』(朝日放送)ではドラマ初主演を果たす。
シナリオ登竜門大賞受賞作『なつのひかり。』(日本テレビ系)では主演を務める。
ドラマ『愛し君へ』(フジテレビ系)で月9初出演。
石井克人監督『茶の味』で映画デビュー。

ゲームソフト『ドラッグオンドラグーン2』(スクウェア・エニックス)では声優初挑戦。
ドラマ『がんばっていきまっしょい』(フジテレビ系)に出演。
『どんまい!』(NHK総合)では連続ドラマ初主演を務める。
スペシャルドラマ『Happy!』(TBS系)では主演の海野幸役を務める。

ドラマ『アテンションプリーズ』(フジテレビ系)では主人公と同じ訓練生の若村弥生役で出演。
ドラマ『レガッタ』(テレビ朝日系)ではヒロインの小田切操役を務める。

イメージキャラクターを務めているJAL日本航空のB777の胴体に、客室乗務員姿の巨大写真がペイントされた。

珍しい苗字からよく芸名と間違われるが、本名である。

母親は宝塚歌劇団卒業生の朱穂芽美(1976年入団、1981年退団)。
姉は宝塚歌劇団87期生で星組娘役の音花ゆり。

特技はシンクロナイズドスイミング、競泳(平泳ぎ)、ドラム演奏。
シンクロはオリンピックで見た小谷実可子に憧れて始め、一時期は選手を目指すほど打ち込み、
市代表を務めたこともある。

ドラムは学生時代に父親の影響で始めている。
一部雑誌インタビューの手違いで学園祭でバンドを組み演奏したとされているが、実際には計画止まりであった。

競泳(平泳ぎ)は中学生の時、宝塚市の大会で一位になったことがある。
高校では水泳部で副部長を務め、“鬼の副部長”として恐れられるほど後輩を厳しく指導していた。

小学校の時から始めた水泳で鍛えた身体は筋肉質だが、陸上競技は苦手。
ただ、持久力には自信を持っている。

趣味は読書。
特にミステリー小説が好き。
好きな作家は宮部みゆき、恩田陸、伊坂幸太郎など。

初めてのデートは中学生の時、スポーツ万能の彼とディズニー映画鑑賞。
高校生の時にはバスケ部の先輩に憧れていたと告白している。

男子高校生や男子大学生にかなり人気がある。
学生時代には異性よりもむしろ同性に人気があり、特に中学生の頃は女子から多数のバレンタインチョコを貰っていた。

酒好きを公表しており、お気に入りのお店はダーツバーと焼き鳥屋。

ラジオ「相武紗季のハッピータイム!」内で、
同じ男性に3度告白したこと、好きになったら告白する確率が高いこと、また100%の確率で断られていると発言。
また、これまで付き合った彼は、すべて相手から告白されて付き合い始めたとも発言。

ペットは希少犬のボロニーズ(メス)。
名前は『みゅー』。


TBS RADIO 相武紗季のハッピータイム!
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2007年02月12日

飯島愛のウェブログ

飯島愛
(いいじま あい、1972年10月31日 - (ワタナベエンターテインメントHPより))
本名:石井光子。
元AV女優。

東京都江東区亀戸出身。
ワタナベエンターテインメント所属。
身長161cm。

本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、
すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って
8月生まれと言ったとのこと。
現在でも、1973年8月25日生とする資料がある。

芸名の由来は、水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて
「愛」という源氏名を命名してくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、
以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。

その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍している。

1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。
オリコン87位。
このCDには飯島愛が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。

2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」がベストセラーに。
映画化やテレビドラマ化もされ、作家活動も行っている。

週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。
また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。

ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多い。
例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。

そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、
「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」
と言われたほどに絶賛だった。

同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。

人気AV女優・後藤えり子にスカウトされてAV界に入った。
週刊誌が本人に許可をとらずで勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。

その後、自著「プラトニック・セックス」で、AV女優経験について語っている。

2002年、サッカーW杯日韓大会の韓国-イタリア戦などでの、
「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、
テレビ番組の「サンデージャポン」内でも疑惑について言及しない番組進行に激怒。
「もうキムチは食べない」などの憤りをあらわにした発言をした
(同じ不審感を持っていた一般人の代弁者になったとも言える)。

知識を要するクイズ番組は苦手だが、
運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。

かなりのガンダム好きであり、富野由悠季監督と何度か対談を行っている。

父親は自民党後援会員を務めている。
その縁で都知事選で柿沢弘治を応援したこともある。

1993年にダウンタウンの番組(「ダウンタウン汁」)にゲスト出演した際、
事前にダウンタウン側に「AV女優時代の話はしないで欲しい」との要望(本人、事務所のどちらからのものかは不明)が伝えられた。

これを聞いた松本人志はあえてAV女優時代の話をしようと思ったが、
生放送ではないためカットされるとみて要望通りトークを行った。
これについて松本は自著で「過去の自分があるから今の自分があるのではないか。」

また松本は2005年にも自身のラジオでこの件について嫌悪感を露にした発言をしており、
現在まで飯島がダウンタウンの番組に出演しない原因になっていると思われる。


飯島愛のポルノ・ホスピタル
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2007年02月11日

北川景子のウェブログ

北川景子
(きたがわ けいこ、1986年8月22日 - )
兵庫県神戸市中央区出身
女優。

身長159cm。血液型はO型。
スターダストプロモーション所属。

大阪女学院中学校卒業。
大阪女学院高等学校普通科理系コース(2年まで)から転校しクラーク記念国際高等学校卒業。
クラーク時代の同級生に市原隼人、NEWSの増田貴久、後輩に藤ヶ谷太輔がいる。

現在明治大学商学部在学中。

元・女子中高生向けファッション誌『SEVENTEEN』(集英社)専属モデル。
ミスSEVENTEEN 2003 に選ばれモデルデビュー。
2006年9月15日を最後にSEVENTEENモデルを卒業。

2004年2月1日に神戸のモデル事務所・ノイエから現事務所へ移籍。
2006年『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』でハリウッドデビューを果たす。
同年6月4日、日本人最速の10代でハリウッドのレッドカーペットを踏んだ。

『美少女戦士セーラームーン』で共演の小松彩夏とはメールのやり取りや食事を頻繁にする大親友。

SEVENTEENモデルの浅木一華とは本人が「恋人みたい」と話すほど仲が良く、3日に1回は会っている。
音楽・映画が好きでTSUTAYAには頻繁に通っている。

好きなアーティストはSE7EN、Evanescence、David Bowie、RADWIMPS、U2。
中でも特にSE7ENの大ファンである。
なお『めざましテレビ』の「広人苑2」に出演の際、SE7EN本人からのビデオレターとサイン入りCDを貰った。

芸能界は保証された職業ではないので、将来のために商学部で勉強することに決めた、という
(『めざましテレビ』「広人苑」より)。
さらに「仕事は明日なくなってもおかしくない」「私には演技力がまだまだ足りない」と冷静に自分を見つめており、
自身のブログでも悩む心の内を記している。

取材などでは将来は映画女優になりたいと常に話している。
なお、韓国の映画女優チョン・ジヒョンのファンである。
『ワイルドスピードX3 』撮影の成果もあり、英会話が堪能。


北川景子のBlog♪Blog♪Blog♪
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2007年02月10日

小林麻央のウェブログ

小林麻央
(こばやし まお、1982年7月21日 - )
タレント、女優、キャスター。

セントフォース所属。

新潟県小千谷市生まれ、東京都出身。

血液型はA型。
姉はTBSアナウンサーの小林麻耶。


出身地:東京都(一部では新潟県出身)
新潟県小千谷市生まれ→埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)→兵庫県西宮市→東京都荒川区

國學院高等学校卒業
身長:164p(姉・麻耶よりも7p高い)
好きな色:ピンク、白
好きな花:マーガレット、カスミソウ、スイートピー
好きな動物:猫、犬

「めざましどようび」出演開始以降、テレビ番組や女優業に関してはほぼフジテレビ専属状態が続いていたが、
2006年1月3日放送の日本テレビ系「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」で、久しぶりにフジ以外の他局の番組に出演したのを皮切りに、
同年春のスペシャルドラマ「Happy!」(浦沢直樹原作、相武紗季主演)で遂に姉の勤め先であるTBSのドラマに出演。
ちなみに、めざましどようび卒業後もフジの番組には出演している。

かなり仲の良い姉妹で、「麻央ちゃん」「お姉ちゃん」と呼び合う。
麻耶も麻央を非常に可愛がっている。
今でも時間さえ合えば、姉妹そろって一緒にお風呂に入ると王様のブランチに出演したときに語っていた。

ちなみに、麻耶は母親似、麻央は父親似であると、麻央のファンサイトやはなまるマーケット「はなまるカフェ」で麻央自身が語る。

姉の麻耶に勧められた事がきっかけで在学中に「恋のから騒ぎ」に出演。
姉の麻耶も母も7月生まれ(麻耶は12日、母は19日、麻央は21日)。

小さい頃は自分の名前“麻央”が好きでなかった、というのは「魔王、魔王」とからかわれる事があったためと話している。
そのため、小さい頃は姉の名前“麻耶”の方が良かったと思うことがあったと話したこともある。 (「まお日記」より)

テニス好き。

新品の洋服は姉が汚すから、麻央は貸さない。

なおTBS、セント・フォース、小林家による取り決めか、テレビ・ラジオ・雑誌での麻耶との直接共演は実現していない。
尤も、麻央本人のTBSへの出演も、(ゲスト出演等を除けば)キャスター業ではなく女優としての出演が殆どである。

「めざましどようび」の共演者で、同じ事務所所属の高樹千佳子と仲が良く、
一緒に受けたインタビューでは高樹のことを「お姉ちゃんみたい。」

フジテレビのドラマ出演、CMの出演、本人の写真集発売などの際には、「めざましどようび」のコーナーで紹介されることが多い。
また、「めざましテレビ」や「めざにゅ〜」でも取り上げられることがある。

ちなみに「めざましどようび」、「めざましテレビ」、「めざにゅ〜」の各メインキャスターは、
小林麻央の話題になると比較的コメントすることが多い。
ヘキサゴンのめざましファミリーSPに出演した一人である。
麻央本人は自分のことを普通の人よりはゆっくりなテンポであると自覚をしている。
私服はスカート7割、パンツ3割とまお日記で発言していた。

漫画「BASARA」は麻央の愛読書。
麻央は犬と猫を比較すると、犬派である。
また、大塚愛とはドラマ共演以来の友人であり、普段でも大塚愛から声マネをされたりしている。


小林麻央 オフィシャルブログ 『まお日記』
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2007年02月09日

風見しんごのウェブログ

風見しんご
(かざみ しんご、1962年10月10日 - )
タレント、歌手。

広島県広島市西区己斐(こい)出身。
本名は大下義博。
成蹊大学工学部中退。

当初の芸名は「風見慎吾」。


地元の町工場を経営する父の影響でエンジニアを目指し、広島学院中学校・高等学校に進学。
周囲からは地元広島の大学を勧められたが、芸能デビューのために東京の成蹊大学に進学する。

「劇男一世風靡」の前身「劇男零心会」のメンバーとして活躍(劇男零心会に参加していたが劇男一世風靡には参加していない)。
振り付けに取り入れ話題を呼ぶ。

ナインティナインの岡村隆史やガレッジセールもリスペクトする存在と語ったことがある。
またこれ以前の歌のダンスは、あくまで歌の振り付けであったが、この曲はダンスに歌が付いている、
といえる程大胆にダンスを取り入れており、ここまでの楽曲はこれ以前になく、
このため今日隆盛を極めるダンスミュージックの先駆者、としての評価もある。

あまりのダンスの激しさに生歌は不可能でたいてい口パクだったが、当時の演奏事情から、
止むを得ず生歌にすると息も絶え絶えで歌が聞き取れない事があった。

『泣き虫チャチャ』は自身の6曲目『泣き虫チャチャの物語』がテーマ曲。

現在は『伊東家の食卓』などのバラエティ番組やドラマに出演している。

試合を観戦に来ていた当時中学生の風見がこの騒ぎに乗じて中日の星野仙一に砂をかけたという。
後年風見が『ザ・ベストテン』に出演した際、スタジオから星野(当時中日監督)に生電話をかけてこの時の話をすると、
星野は「あんときのガキゃぁお前じゃったんか!!(あのときのガキはお前だったのか!!)」と答えた。

2007年1月17日、当時10歳で小学5年生の長女が通学途中、
自動車にはねられ、病院に送られたが死亡した。


タレント風見しんごblog「しんごトーク」
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