(はが けんじ、本名:當眞 美喜男(とうま みきお))
(1962年7月21日 - )
フロムファーストプロダクション所属
旧芸名は羽賀健二。
沖縄県沖縄市出身。
父がアメリカ人、母が日本人のハーフ。
血液型はB型。
身長183p 体重68kg
多くの戦争犠牲者を出した沖縄で、敵国である米兵と日本人とのハーフとして生まれた彼の幼少年期は凄惨なものであった。
米兵の子を身ごもった事を知った叔父は、胎児を蹴り殺そうと母親を蹴りまくったそうである。
生活は極貧を極め、住まいは長らく電気店の納屋であった。
その為、早くから新聞配達をして家計を助けていた。
小学校時代は、ハーフで赤毛であることを理由に執拗なイジメに合う。
中学時代は、同様の理由で喧嘩を吹っかけられる毎日を送る。
国際学園高等部時代はバスケットボール部に所属し、インターハイ出場歴もある。
卒業後、1981年にミュージカル『ザ・ファンタスティックス』で芸能界デビュー。
また、劇男一世風靡の前身「劇男零心会」にも籍を置いていた。
(劇男零心会には参加していたが劇男一世風靡に参加していない。)
翌年フジテレビ系列の『笑っていいとも!』の初代いいとも青年隊に起用されたのを皮切りに、俳優・歌手として活躍。
かつて梅宮アンナと長期にわたって交際しており、お互いのヌード写真集を出すほどの熱愛ぶりだったが、
梅宮辰夫の反対や羽賀自身の見栄を張りすぎた性格が災いして借金(後述)など数多くの問題を抱えていた。
だが「誠意大将軍」と名乗り、梅宮パパや借金に対して誠意ある対応をしたことから次第に周囲から認められる。
しかし、梅宮アンナとは仲違いをし破局することになった。
2006年、元テレビ制作会社社員でここ数年のあいだ羽賀の身の回りの世話をしていた家政婦の女性と結婚。
梅宮アンナとの破局の真相や妻との出会い、そして結婚式の模様はフジテレビ「Dのゲキジョー」内で紹介された。
有名になった後も発表される生年月日がコロコロ変わった。
デビュー当時は1961年生まれとなっていたが、その後1964年生まれになっていたこともある。
近年は1962年生まれの発表に落ち着いている。
いいとも青年隊時代、楽屋で蚊に刺されて無性に刺された箇所がかゆくなった。
羽賀は血が多量に出るまでかいたあげく、しまいには焼きごてを自分で用意しその傷口を塞いだ。
自動車やレースが趣味で、日本自動車連盟公認の国内競技に出場するための国内A級ライセンスを取得している。
実質的は母子家庭であり、そのため母親想い。
母には家をプレゼントしている。
沖縄県北谷町のアメリカンビレッジにある「南国食堂」のオーナーでもあり、オープン時は不評であったが、
最近はそこそこ評判が良いようである。
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