2007年01月28日

木村祐一のウェブログ

木村 祐一
(きむら ゆういち、1963年2月9日 -)
京都府京都市左京区出身のお笑いタレント、放送作家、コラムニスト。

吉本興業所属。
愛称は「キムキム兄やん(キム兄)」「キム」。
現在の妻は女優の辺見えみり、義兄はミュージシャン・音楽プロデューサーの辺見鑑孝。

血液型はAB型。
京都市立西京商業高等学校(現・京都市立西京高等学校)卒。

口癖は「考えられへん!(声を裏返して叫ぶ)」「ありえへん!(左同)」
いずれも、秩序や常識、段取り、気配りなどを無視する人間に向けて発せられる
(ダウンタウン松本の「おちょこぶり」に対して発した事も。)。
常にそういう物に怒っている男でもある。



結婚して子供をもうけたが2005年に2度目の離婚。
2006年1月9日に『ダウンタウンDX』で出会ったタレントの辺見えみりと婚約。
同日、合同記者会見を行い、入籍(自身3度目)を報告。

ちなみに、婚約指輪は0.93カラット。ティファニーで購入。
プロポーズは新宿外苑の外周の車中でした、とのこと。

妻のことはテレビなどでは「えみりちゃん」だが、家では「えみちゃん」と呼んでいるらしい。
辺見は自身のブログで木村を「旦那はん」と呼んでおり、木村は辺見のブログに時々写真で登場する。
また、『ダウンタウンDX』の特番などで夫婦共演することもある。

ちなみに、2006年には自身の浮気騒動が報じられたが辺見えみりはその報道に対し全く相手にしてなかった。

「キムキム兄やん」と呼ばれるようになった由来は、
大阪時代に出演していたダウンタウンがパーソナリティの『ヤンタン』のコーナー名で使われていたのをそのまま使われるようになったため。
最近では義父の西郷輝彦にも「キム兄」と呼ばれて驚いたことがある。

無類の地図好きであることを辺見えみりが新婚旅行先のハワイでの出来事として『ダウンタウンDX』の番組で紹介した。

街中でふと気にした場面を写真に撮って木村独自の目線でツッコミを入れたり漫談をする「写術(しゃじゅつ)」がライフワークとなっており、
年に1度のペースでライブを開催している。
『めちゃイケ』の「笑わず嫌い選手権」でもそれを披露し、和田アキコや久本雅美を唸らせた。

服を買うことが大好きで、要らなくなった服は多くの後輩芸人に譲っている。
時々、後輩芸人を集めて時間制限つきで選ばせる内輪向けのイベントを開催している。
要らなくなった服とはいえセンスの良い服がタダで手に入れられるため、
後輩芸人からはそのイベントを「キムコレ」と呼ばれている。

以前は髪型をリーゼントなどにしていたが、ここ数年は専ら五分刈りにしている。

『ヨシモトファンダンゴTV』で放送されていた「木村web堂」では先輩芸人やニュースで話題になった人のモノマネを披露したことがある。

好きな酒は「GT」。バーでよく注文するらしい。
しかし最近は体の調子を崩しあまり強いアルコールはドクターストップがかかっているらしい。



キム兄のなで肩日記



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2007年01月26日

氣志團のウェブログ

氣志團
(きしだん)
千葉県木更津市出身と鹿児島県出身のヤンキー系ロックバンド。
東芝EMI社所属。

自らのロックをパンク・ロックとヤンキーの融合「ヤンク・ロック」と提唱する。

1980年代の不良行為少年を髣髴(ほうふつ)とさせるリーゼント&学ラン姿と
それに反して甘い青春を歌い上げる彼らは、KISSES(キッシーズ)と呼ばれるファンから熱狂的な支持を受けている。

『めちゃ²イケてるッ!』の人気コーナーだった「数取団」のモデルである。
彼等も公認(ナインティナインと綾小路翔が「オールナイトニッポン」のパーソナリティ同士としてつながりがあったため)しており、
同コーナーにゲスト出演もしている。



メンバー

綾小路 翔(翔やん):VOCAL,DRAGON VOICE,MC&GUITAR
「房総の狂犬」(1976年4月26日生まれ- B型) 誇り高き團長。千葉県君津市出身。DJ OZMAと同一人物。永遠の16歳。

早乙女 光(ひかる):DANCE&SCREAM
「森の堅者」(1月24日生まれ- A型) 千葉県木更津市出身。精神年齢4歳。

西園寺 瞳(トミー):GUITAR
「多摩の大巨人」(10月23日生まれ- B型) 東京都多摩市出身。早稲田大学卒。

星 グランマニエ(ランマ):GUITAR
「薩摩隼人は泣きの竜」(3月1日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。

白鳥 松竹梅(マツ):BASS GUITAR
「はちみつ大好きこぐまちゃん」(3月17日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。

白鳥 雪之丞(ユッキ):DRUMS&DRUNK
「美しき野獣(のけもの)」(1976年5月24日生まれ- A型) 千葉県君津市出身。メンバーで唯一、本名を公開した。(というか、された)




最近では、CM出演、更にゴールデンタイムの番組にもゲスト出演などしている。

2004年11月25日にはベストアルバム発売、同日・弟分の微熱DANJIが氣志團の名曲「甘い眩暈」でデビュー。

2004年11月27日、一連の氣志團現象を総括する氣志團現象最終章のツアーファイナルは、
当初幕張メッセと発表していた会場を変更し東京ドームでGIGを敢行。
ギターの星グランマニエが転落事故(通称【ポトリコポトリカ事件】)で入院したため5人でのGIGとなったが、
無事成功に終わった。
年末には初となる紅白歌合戦にも出場した。星グランマニエの立ち位置には、彼を模した人形の安全太郎君がいた。

2005年12月31日、2回目の紅白歌合戦出演。
曲目は昨年と同じ『One Night Carnival』(スキウタで選ばれたため)。
フルメンバーとしては初の紅白出場である。
紅白ではリーゼントのカツラをとるパフォーマンスを見せたがリーゼントは本物である(2004年の紅白歌合戦でも同様のパフォーマンスを披露した)。
実際紅白で普段一時間以上かかるリーゼントを六分で仕上げたという記録の持ち主でもある。

2006年8月26日、27日の二日間、極東NEVER LAND(通常は富士急ハイランドと呼ばれている)にて『KISHIDAN 10th ANNIVERSARY SPECIAL 氣志團万博2006“極東NEVER LAND”』を開催。
これで全都道府県を制覇した。



綾小路と白鳥はまちゃまちゃの君津市立周西中学校時代の同級生。
同校所在地は君津市のため、二人は正式には木更津市出身ではなく、隣町の君津市出身ということになる。
綾小路と木更津の繋がりとしては、幼少時の一時期、同地に預けられていた過去がある。

綾小路は高校時代の卒業アルバムの写真が丸坊主である事を
「高校生当時は真面目な生徒であり卒業アルバム撮影前に同級生の不良から坊主頭にされてしまった」と言っている。

宇多田ヒカルは綾小路の実家に遊びに行った事がある(2005年11月10日放送の「うたばん」より)。

彼らの曲のタイトルや歌詞は模倣が多いが、パロディとしてこれは誰にでも解るようにしているためである。
特にBOØWY、尾崎豊からの引用が多い。

シングルやアルバムのジャケットも、過去の名盤のパロディである事が多い。
メジャー第一弾アルバムは町田町蔵がリーダーだったINUの『メシ喰うな!』が、続く第二弾アルバムはブロンディの『妖女ブロンディ』(邦題)がモチーフになっている。
ユニコーンの『服部』のパロディである『TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE』のジャケットには『服部』と同じ鳶職人のお爺さんの写真が使用されている。

メジャーデビュー前にウルフルズの「事件だッ!」のミュージック・ビデオに全員そのままの格好で出演している(不良生徒役)。

綾小路はB'z(主に稲葉浩志)好きとしても有名。

「SECRET LOVE STORY」のPVに出演している女優(メイン)はドラマ『タイヨウのうた』主演の沢尻エリカ。

綾小路と同一人物であろうとと言われていたDJ OZMAは、友人という発言をしていたが、
結局彼の結婚報道でやはり同一人物という事が判明した。

ちなみにDJ OZMAは『第57回NHK紅白歌合戦』における騒動を起こし、のちにNHK会長橋本元一が「現場で使いにくい状況だと思う」と述べ、
これにより綾小路・DJ OZMAおよび氣志團がNHK出入禁止となったと報じられた。
また、公式ブログでもこの騒動について「モラルは大事」とコメントした。

綾小路は自分のアイドルとして岡村靖幸の名を挙げTM NETWORKファンである事を公言するなど、
80年代に活躍したミュージシャンを好きな事で知られており、彼等をトークの話題に出す事も多い。

綾小路が最も尊敬する人物は映画ビーバップハイスクールのヒロシ役でおなじみ清水宏次朗である。

綾小路は2006年12月7日に入籍、12月8日の公式のブログにて発表した。



氣志團 オフィシャルホームーページ タコ部屋
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2007年01月21日

志村 けんのウェブログ

志村 けん
(しむら けん、1950年2月20日 - )
コメディアン。

本名、志村 康徳(しむら やすのり)。
血液型はA型。
歌手、俳優でもあり、ザ・ドリフターズ(以下、ドリフと表記)の一員である。
愛称は「志村」「しむけん」「けんちゃん」「ケン坊」、
ダチョウ倶楽部の上島竜兵や桑野信義からは「師匠」と呼ばれ、
また本名から「やっちゃん」、「康べぇ」など。
イザワオフィス所属。
身長168cm。

古くは沢田研二、キャンディーズ、最近ではダチョウ倶楽部や矢崎滋、柄本明、藤山直美、意外な所では俳優の金城武など、
お笑い芸人・テレビタレント・テレビ番組・俳優・制作関係者など志村の影響を受けた「志村信奉者」が多数おり、
現代の「日本の喜劇王」と呼ばれることもある。

また、志村のコントの腕は松本人志が絶賛するほどで「憑依芸人」とも呼ばれている。


独身で現在も未婚であり、決してバツイチではない。

ドリフ付き人時代に当時付き合っていた彼女が妊娠し、
結婚をしようとしていたが彼女の両親に猛烈に反対され泣く泣く妊娠していた子供は堕ろされ別れさせられた。
この時、いかりやに「単独行動するんじゃねーよ!」と叱られている。

自動車の運転免許証を持っていない。
ただ、某番組の企画で教習所で車の運転をしたことがある。

芸名の「けん」は、父親の名前「憲司(けんじ)」が由来である。
父親は小学校の教頭をしており、厳格な家庭に育った。
しかし、志村が中学の頃自宅前で交通事故に遭って以来認識障害(と思われる状況)となり、
志村がドリフ入りを決意した頃は物の判断がほとんど出来なかったという。
志村の爺さんコントは、「この時期の父親をモデルにしたもの」と本人は著書で明言している。

愛称は「けんちゃん」、「しむけん」、「けん坊」。
中でも「しむけん」は略語を好む若者の間で定着しているが、「一文字(ら)くらい言えよ」と本人はあまり気に入っていない。
ダチョウ倶楽部からは「師匠」と呼ばれている。

母は志村和子(しむら かずこ)。
母からは「やっちゃん」(本名が康徳のため)と呼ばれている。
氷川きよしの大ファンで、番組の企画でコンサート後の楽屋訪問が実現した際には少女のように喜んでいた。
バカ殿のコントにも出演したことがある(美しい腰元との甘い一夜を期待したバカ殿が、その閨に忍び込むと…)。
兄が2人いる。

「全員集合」などで披露した、スイカを異常に速く食べる芸はすでに伝説と化している
(実はテレビに映らないスイカの裏側部分は削りとられており、身の部分は薄い。通称「ドリフカット」)。
しかし、フジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』での放送内で削られていない通常のスイカでも早食いができることを証明した
(しかしその時の出演者は誰も見ていなかった)

酒とタバコが大好きで共演者や芸人仲間と一緒に飲む事が多い。
「だいじょうぶだぁ」などのコントに使用しているお酒は本物を使っている。
タバコもコント中はタバコを吸っている場面が多くあった。
ドリフ全員がホノルルマラソンに出場した時、志村が途中棄権した後の第1声は「タバコ吸いたい」と言ったほどの愛煙家である。

本人談によればジェリー・リー・ルイスの初期の頃に強い影響を受けた、との事。
また、ソウル・ミュージック通でもあり、かつて音楽誌『jam』でソウル・アルバムのアルバム評レビューを書いていたこともある。

2001年9月24日放送の『世界絶叫映像もろ見え超びっくり人間大集結ギネス来襲スペシャル』(日本テレビ系)で
円周11.0mのフラフープを30秒間で24回転し、
「世界で最も大きなフラフープを(30秒間)回した人」として当時のギネス世界記録に認定される。

2002年1月5日放送の『世界絶叫映像もろ見えびっくり人間緊急来日ギネス爆裂スペシャル』(日本テレビ系)で、
志村と同じ記録を持つスペインの女子高生(当時)、ラウラ・リコと対決し、
志村は11.5mはクリアしたものの、12.0mは16秒で失敗。
ラウラ・リコはこれを成功し、世界記録保持者となる。
なお、2005年8月現在のギネス世界記録保持者はWの辻希美と加護亜依。

未だに独身であるが、昔も今も女性にはモテる。
いしのようことは結婚寸前まで行ったという逸話は有名。
他にも優香や多くのグラビアアイドルなど、女性の噂が絶えることはない。
また今まで付き合った人の中では財産半分持っていった女性もいた
(注:法律上決まりはないが、判例によると同棲期間が長いほど高額な慰謝料が発生する場合がある)。
『ダウンタウンDX』出演時に、高校生の時から同棲を10人ほどしたとコメントした。

大の犬好きでゴールデン・レトリバーなどの大型犬を自宅内で数匹飼っていることで有名である。
番犬にならないというのは前述の通り。

自分自身の事を語るトーク番組の出演は苦手・地声は低音である。
と、2002年5月29日にOAされた「わたしはあきらめない」(NHK制作)で本人が語る。

2004年、「全員集合」コントで、いかりや長介に攻撃するシーンで「本気でやっていた」と加藤茶に暴露され本人も認める
(もっとも、他のメンバーも大同小異であったが…)。
しかし、いかりやはお笑いに関しては完璧主義者だったため、いかりやが求めていた可能性が高い。

日本だけでなく、台湾(だいじょうぶだぁ)、タイ(加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ)、
インド(蚊取り線香のCM)でも知名度が高く、金城武が彼のファンであるのは有名である。

ちなみに担当はキーボードである。
ドリフの過去のバンド演奏でキーボードを弾いている姿が見られる
(しかし、高木は「ギターだった俺が荒井の担当だったキーボードになって、ギターしか弾けない志村はギター担当になった」と発言している。
このことから、しばらくキーボードを担当していたが、すぐにギター担当になったとも考えられる)。

「学生時代、ビートルズの日本公演を観に行き、その時の前座がドリフだったためにドリフの付き人になる決心をした」
(居作昌果の著書にも記述されている)という噂もあったが、
彼が観に行った公演(1966年7月2日昼の部公演)での前座にドリフは登場せず(ドリフの登場は6月30日・7月1日。同公演パンフレットにも明記されている)、
単なる噂であったと、後の志村は語っている。

ちなみに、ビートルズのチケットは、
苦労して手に入れたクラスメイトの女の子に「お前より俺の方がビートルズ好きだから!」と頼み込んで譲ってもらったものだった。

ビートルズの日本公演を観に行った際、持参した一眼レフカメラで1枚のみ隠し撮りをしており、
その写真をパネル化して、TV番組で公開したことがある。
その写真によると、ジョン・レノンが丸いサングラスをかけており、7月2日公演と分かる。
余談だが、同日の公演は、音源・映像とも、一切公式に収録されていない。

弟子に「ジョーダンズ」の山崎まさやがいる。

日本中央競馬会に所属していた競走馬「アイーンベル」の馬主でもある(本名の志村康徳名義)。
その馬のデビュー日にドリフの先輩であり1981年に志村と共にノミ行為で摘発された仲本工事がゲスト出演したグリーンチャンネルの番組『競馬場の達人』の収録のために競馬場を訪れており、
来賓者席から応援していた。

音楽にも造詣が深い。


出身地東村山市への貢献

志村はプライベートで東村山市及び自身の実家に帰ることはほとんどないというが、
「東村山音頭」以来地元への貢献は絶大であり、現在に至るまで人気・評価とも極めて高い。

東村山ネタで人気が出始めた頃、
地元における志村バックアップの動きは元祖「東村山音頭」を企画した東村山市農協が中心であった。
その後東村山ネタが全国的なブームになり、東村山市自体も注目を集めるようになったことから、
市民をあげて応援するようになっていった。


ken's blog: 志村けん公式ブログ
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2007年01月17日

亀田興毅のウェブログ

亀田興毅

(かめだ こうき、1986年11月17日 - )
プロボクサー。
亀田三兄弟の長男で、亀田大毅・亀田和毅は弟、亀田史郎は父にあたる。
身長166cm。
階級はライトフライ級(フライ級から転級)。
スタイルはサウスポーのファイター。
2006年12月20日現在、アマ戦績16戦15勝1敗、プロ戦績13戦全勝(10KO)、
最高位はWBAライトフライ級世界王者(フライ級4位)、WBCフライ級世界4位。
血液型はB型。ニックネームは「浪速乃闘拳」(なにわのとうけん)。


2006年3月8日に2度目の世界前哨戦を行い、カルロス・ボウチャンに6ラウンドKOで勝利した。
だが、この試合の決め手となったボディブローが下腹部への反則打撃(ローブロー)ではないかと、
一部で物議を醸した(この時の様子は、実況のテレビカメラにも映されている)。
試合後、ボウチャンは記者に向かって自身が使用したトランクスを掲げ、
股間部分にグローブの跡がついていることを主張したが、この会見の場面を撮影した映像・写真は報道されていない。
なお、このローブローが疑われている場面では、この試合のレフェリーを担当した試合役員・浅尾和信が亀田に対して注意・警告を行わなかったため、
数ラウンドに渡って同様のローブローが疑わしい攻撃が繰り返されることになった。
この浅尾の判断に対して「極度に地元贔屓の裁定である」または「亀田の攻撃が反則であったとしても、それをレフェリーが黙認しているのだから、亀田には責任が無い」という指摘もなされている。

2006年5月5日、3度目の世界前哨戦でカルロス・ファハルドに2ラウンドTKO勝利した。
しかしファハルドは、2005年の試合(KO負け)を最後にリングから遠ざかっており、亀田戦まで約1年のブランクがあった。
その間、ファハルドは空港で働きながら、弁護士になるための勉強をしており、ボクシングから完全に離れていた。
試合では完全にブランクの影響が出ており、足も使えずパンチも遅くと散々であった。
試合後、ファハルドは練習期間が1週間しかもらえなかったことを暴露している。

2006年8月2日に元WBAミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの世界戦を行い、12R判定で勝利(2-1)、WBAライトフライ級チャンピオンとなった。
10代で世界王者となった日本人選手は、ファイティング原田(19歳6カ月)、井岡弘樹(18歳9カ月)に次ぎ3人目であり、
日本人選手との対戦が一切ない戦績での達成は初。
また、12戦目での世界王座獲得は、日本のジム所属選手では歴代5位タイの速さである。
しかし、この試合直後から、その判定結果について業界内外から疑義が沸騰した

2006年12月20日、東京・有明コロシアムにて、
ファン・ランダエタ(ベネズエラ・同級1位)との再戦が行なわれ、12R判定で勝利(3-0)。


公共・公式の場であっても不遜な口利きを貫いている。
本人曰く「敬語は尊敬できる相手だけに使えば良い」。
これらは、プロレスで言うところの「アングル」のように、ある種のショーとして偽悪的態度を装っていると言われている。
また、かつてモハメド・アリがしていたように、わざと大口を叩いて相手のみならず自分自身にもプレッシャーを与えているのだ、とも解釈されている。

2006年8月2日のタイトルマッチの翌日の読売新聞に
「個別の取材ではとても丁寧な言葉づかいで好感が持てた。もうこんなキャラを演じるのは止めたらどうか」という内容の記事が掲載されていることからも、
態度の悪さはTV用のパフォーマンスであることが窺える
(過去にも、週刊ポストや週刊文春の記事に「素顔は礼儀正しく、敬語も正しく使える」旨の記述があった)。
しかし、これら一連のパフォーマンスの真意は必ずしも世間に伝わっているとは言えず、
その傲慢とも受け取れる態度に関しては、世論も賛否両論に分かれている。
TVワイドショーのコメンテイターの中にも、やくみつるのように「ですます調で話せるようになりなさい」と注意する者もいる。
しかし、父・史郎はそんな息子の態度を「青春の1ページ」などと言って擁護し、
批判的なコメンテイターやマスコミの意見に反発している。
興毅本人も、数々のバッシングに対し、少なくとも表向きには動じた様子は見られない。

一部では「亀田兄弟は下に行くに従って態度が悪くなっていく」とも報道されている。
これは、「パフォーマンス用に作られた興毅のチンピラ的態度」を見てきた弟の大毅や和毅が、
その「チンピラ」の表層だけを真似てしまい、きちんとした礼儀などを学ばずに育ってきたためではないかと見られている。

カルロス・ファハルドが同席した世界前哨戦の記者会見において、
減量に苦しむファハルドの目の前で骨付きチキンを頬張り、清涼飲料水を一気飲みして挑発。
また同戦の前日計量においては、ファルハドの写真を貼ったフライパンを素手で折り曲げていた。

ライトフライ級タイトルマッチとなったファン・ランダエタ戦の前日計量においては、
ハンバーガーを食べながらキューピー人形(ファン・ランダエタのあだ名『ベイビー』にちなんだもの)を渡したが、
ランダエダはジョークと受け取り笑って対応した。
ランダエタは返礼として、試合前の計量の時に紙おむつとおしゃぶりを手渡そうとしたが、
興毅はそれを見るなり受け取ることなく床に叩きつけた。
その後、史郎がランダエタに興毅との握手を催促するが、ランダエタは拒否。
それに対して史郎は「おまえがオムツしとけや!コラァ!」と恫喝していた。

戦歴に現れているように、デビュー以来日本人選手との対戦が一度もなく、このことも一部では批判の対象となっている。
日本フライ級チャンピオンの内藤大助は、かつて興毅に「六回戦レベルの選手」などと挑発されたのを受け、
現在に至るまで何度となく公式に対戦を希望しているが、試合は未だ実現していない。



亀田興毅 ブログ『浪速乃闘拳』
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2007年01月15日

ウエンツ 瑛士のウェブログ

ウエンツ 瑛士
(うえんつ えいじ・Wentz Eiji、本名同じ 1985年10月8日 - )

俳優・タレント・ミュージシャン。
東京都三鷹市出身。
てんびん座、O型。

学校法人武蔵野東学園武蔵野東小学校-武蔵野東中学校卒業。
日本大学櫻丘高等学校卒業。
バーニングプロダクション所属。

シンガーソングライター・デュオ「WaT」のメンバー。



NBA選手に憧れ小・中・高とバスケットボール部に所属(中学時代には関東代表に)、
部活引退後は地元のクラブチームに入っていたことも。
小学生時代は器械体操や野球のクラブ活動もしていた。

冬になると決まった友人らとスノーボードに行くらしく、かなりの腕前らしい。

かなりのドラゴンボールマニアで、
『ダウンタウンDX』では同じくドラゴンボールマニアのえなりかずきと互いにマニアックなクイズを出し合い、
他の出演者やスタジオの観客をドン引きさせていた一面も。
(このなかで、ネイルの戦闘力をえなりが「45000」と答えたのに対し、
ウエンツはすかさず「正解!」と言ったが実際は「42000」。正解より笑いを優先したと思われる)



家族

家族構成は父・母・5歳上の兄・ウエンツの4人。
ウエンツ以外は全員英語が話せる。

両親がウエンツに英語教育をしなかったのは「日本で暮らすのだから」「どちらの言葉も中途半端にならないように」という方針から。
父親はドイツ系アメリカ人で目の色はグリーン(緑・蛍光黄色)。
仕事で来日、母親と社内恋愛で結婚。
名前はマイケル。

母親は英語しか話せなかった父と会話するためECCに通い、
最終的に優秀賞を受賞するほどの腕前に。

兄はまるっきり日本人の顔をしており、一緒にいても兄弟に見られたことがない。
しかし自らECCに通い勉強したため、英語はペラペラでアメリカの大学へ留学経験もある。
非常に兄弟仲が良く、ウエンツは優しくておっとりしている兄のことが大好き。

父親は叱るときなど感情が高ぶると英語が出るらしく、
そういう時はひたすら「Yes… Yes…」でごまかす。

本人曰く「英語を喋れる遺伝子がどこにあるのか見つからない」。

またウエンツ以外の全員がゾロ目の誕生日(母親は7月7日)。
そのため母親はウエンツも何とか10月10日に産もうと頑張ったが、結局8日に誕生。
ゾロ目に生んであげられなかったことをとても悔やんでるらしい。

両親は共働きなため、子供の頃は母方の祖父母の家で過ごすことが多かった。
おばあちゃんには「瑛さん」と呼ばれている。

一人暮らしをしている家で飼っている犬は「オザワくん」といい、
名前の由来はスピードワゴンの井戸田が相方小沢に引っ越し祝いでプレゼントしようとしたが、
小沢が大の犬嫌いだったため譲り受けたことから。
普段は「オザ君」などと呼んでいる。
犬種は、ワイヤーヘアード・ミニチュア・ダックス。

同じく家では猫の「ナナ」も飼っている。
ナナは子どもの頃に拾った雑種の猫で、始めはどうにかして頭の上で飼おうとしていた(当然断念)。

1985年10月8日誕生。
生まれた時は白に近い金髪で、目の色も現在よりグリーンがかっていた。
大人になるにつれて髪も目の色素も徐々に濃くなったらしい。

子どもの頃は金髪であったため、クラスでひとりだけ「金髪」「外人」と呼ばれたり、指を指されたりしていた。
あまり多くを語らないが、外見による偏見で辛い経験をしてきている。
また英語が話せないことも含め、外見と中身の相違に強いコンプレックスを抱いてきた。
後に本人は、「コンプレックスが武器に。人生は何が奏功するか分からないものです。」と語っている(19歳当時)。

小学1年生の時、周りから違う目で見られることで改めて「俺、アメリカ人なんだ…」と意識しだす。
小学4年生の時、3年生から英語の授業が始まったため一生懸命勉強していたが、
「俺、英語しゃべれねぇ…」と才能の無さに気づく。

小学6年生の時、それまでは英語を勉強している姿を笑われたり外見のことでいろいろ言われることに苦痛を感じていたが、
そのことを逆に笑いに変え「俺の外見、おいしい」と思えるようになり前向きに生きだす。

母親曰く、幼い頃からおしゃべりで1人でベラベラ喋っていたらしい。
小学生の頃には母親に「俺は家の中心にいたいんだ!」と言った。

幼い頃からなぜか英語に拒否反応を示し、「ハロー」と挨拶されても「こんにちは」と返していたらしい。
本人にも理由はわからないらしく「両親も困惑したと思います」と語っている。

美味しくはないが癖になるという理由で蛍を食べていた。
それを見た父親がビックリして叱るが、「エイジ、ホタル、タベタ!!」とカタコトだったため理解できず
(しかし怒られていることは理解できたのでやめた)。

兄は厳しく、ウエンツはわりと放任主義で育てられた。
幼い頃、親に怒られ兄と共に家の外に締め出されたとき、何を思ったのか傍にあったおもちゃで窓ガラスを割り、家に入った。
「この子はちょっとおかしい」と唖然とした親はさらに叱らなくなったらしい。

小学5年生の時、学校で友達からその日そろばん検定の試験があると聞き、
勉強をしていなかったため教室から抜け出し逃走。
迷わずまっすぐ帰宅。
しかし、忽然と姿を消したウエンツに焦った学校側は、仕事先の母親の元に「誘拐された!」と連絡するなど騒動に。

小学校時代のあだ名はシタンツ。(他ウエンツスターソースなど)

野球の試合で、レギュラーではなかったのでベンチにいると、
相手チームに「助っ人外人選手入れてるよ!」と勘違いされ、
試合に出ていないのは最後の切り札であるためかと恐れられていた。

小学校1年から6年までずっとひとりの女の子に片思いをしていたが、
中学生になり告白しようと思った矢先にその子が転校してしまった。
(転校後その女の子から手紙が来て『本当は好きだった』と書いてあり、実は両思いだった)


4歳でモデルデビュー、芸能活動を開始。

多くの雑誌・CMを始め、NHKの人気子ども番組『天才てれびくん』に2代目てれび戦士として登場
(その後5年間に渡りレギュラー出演)。

当時、子役達の間では「舞台の貴公子」と呼ばれ憧れの的だった(元子役談)。

母親は俗に言うステージママではないので、
1人で電車に乗り仕事に行くことも多かった。

『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の「第1回ダンディ小学生選手権」に出演した事がある。

『天才てれびくん』卒業後、すぐにジャニーズ事務所からスカウトがあったが
「踊りが嫌い」「お笑いが好きだから」という理由で断った。
また、それまで所属していた事務所も辞め一時芸能界を引退。
中3から高1の夏まで約1年半、普通の生活をしていた。

その後、16歳で現在の事務所から芸能界に復帰。
ちなみに現在所属しているバーニングプロダクションへは、
それまでの彼の活動に注目した郷ひろみが事務所側に推薦したことによりスカウトされて入った。

馬が好きで、真面目に競馬学校への進学を考えていた
(小学校の卒業文集には「騎手になりたい」と書いている)。
しかし中学の3年間で身長が30cmも伸びたため断念。

学校の成績が大変良く、高校(日本大学櫻丘高等学校)では学年約400名中8位までいった。
本人は国語と数学のどちらも好きで、特に漢文が面白かったと語っている。
しかし、英語は苦手意識が強過ぎてなかなか伸びずテストで赤点をとったこともあるほど。
が、その外見のため高校入学当初には英語のテストで両隣の生徒にカンニングされた。
ウエンツはその生徒達のテスト結果に対し「天罰だ」と語っている。

また、自身が受験の際に通っていた個人塾で塾講師のバイトをしていたことも。
マンツーマンで小学生に国語や算数を教えていた。

高校の文化祭では実行委員を勤め、舞台の照明を担当。意外と地味な作業が好き。

自称ものすごい勉強法を考案、名づけて「全裸勉強法」。
当時ウエンツは部屋にある机の高さが高すぎて思うように集中できず、
床やベッドだと寝てしまうため、いつも家族が寝静まった後にリビングで勉強をしていた。
しかし夜遅いので眠い。
そこで考え出したのが全裸勉強法である。

その理由と効果について「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」
「冬は寒くて眠れないんですよ、全裸だと」「自然と一体化して頭に入る」と語っている。
(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)。


キャラ

端正なルックスにも関わらず、笑いのためならケツも出すと言うほどの芸人根性の持ち主であり、
若手お笑い芸人に近いポジションと言われている。またその実力から多くの若手芸人達から恐れられているらしい。

モデル出身というハーフの美形でありながら、
10代後半にして芸人に混ざりひな壇の常連になるなど、
これまでの芸能界史上で前例が無いと言われる独自の路線を切り開いている。

主にバラエティ番組でのトークに定評があり、
ヘタレキャラや自虐ネタをベースとした泣き芸・キレ芸・リアクション芸を得意とし、
たまにそのシュールな思考回路を披露することも。

笑いに対する貪欲さと勉強量は半端ではなく、
その熱心さは明石家さんま・関根勤・今田耕司など多くの芸人らからも認められるもの。

また製作人の間では、その状況判断力や笑いに対する嗅覚が注目されているらしく、
番組で若手芸人をキャスティングする際にも芸人らと並んでついつい「ウエンツ瑛士」と書いてしまうらしい(放送作家談)。

出演した番組は録画してチェック。

自分の発言の何が使われ何がカットされているかを確認し、
編集のコメントチョイスを研究・分析するなど、恐るべき向上心の持ち主らしい(放送作家・海老克哉談)。

「なんでそんなに」「お前進む道間違ってる」「ウエンツはどこに行こうとしているのか」などといたるところで言われるが、
当の本人に全く変わる気は見られない。



師匠、山崎邦正

尊敬する人は『山崎邦正』。
お笑い芸人の山崎邦正とは師弟関係にあり、毎年一緒に隅田川の花火大会に行っているらしい。
NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。

師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』。
(「つまったら歌を歌え」などもあり)

芸能活動を辞めている間(子ども時代参照)、
花火大会に行った時に山崎から結婚することを打ち明けられた。
山崎は誰よりも先にウエンツにその話をしてくれたらしく、
「嫁のお腹に子どもがおる。お前は俺の息子みたいなもんやから、子どもが生まれたらお前に妹ができるな。」と言ってくれた。
その言葉に感動し、芸能界への復帰を決意したらしい。(『HEY!HEY!HEY!』より)

しかし、ウエンツにとって師匠は「神的存在」であるため、
直接教えを請うのは今田耕司、宮迫博之、品川祐などお笑いの先生である。



ウエンツ瑛士オフィシャルブログ
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2007年01月10日

あいのり スーザンのウェブログ

あいのりのスーザン
本名は鈴木 剛。
(1980年11月8日 - )
日本の画家。
山梨県出身。
特技は空手。

パッション男!

参加地点:オマーン



スーザンと卑弥呼と子供共
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2007年01月07日

小池 徹平のウェブログ

小池 徹平
(こいけ てっぺい、本名同じ、1986年1月5日 - )
俳優、およびシンガーソングライター・デュオ「WaT」のメンバーである。
愛称は「小池くん」「徹平ちゃん」「徹平くん」「徹ちゃん」。
大阪府大阪狭山市出身。
やぎ座、B型。
バーニングプロダクション所属。


お酒のあてには必ずビーフジャーキーを食べるらしい。


癖・特技・趣味などその他の特徴

髪を直すこと、また直しながら舌を出すことが癖。
ダンス、料理がそこそこうまい。
得意料理は「鶏肉のクリームソース」。

高いところが平気(ウエンツ瑛士は高所恐怖症)。

デジカメで月や星の写真をよく撮る。
その写真をウエンツ瑛士に見せるがいい反応は返ってこない。

左利き(元々は右利きだったが、左利きだった父のまねをしていたらいつのまにか左利きになっていた)だが、
ギター、ボウリング、習字などは右手を使う。

鎖骨のくぼみをさわられると弱い。
また肩にあごを乗せられるのも苦手。
本人曰く特に肩にあごをのせられると、立ってられないくらい、フニャフニャになる。
よく弟にされたらしい。

今持っているギターは全部で5本。

結婚は30歳ぐらいまでにはしたいらしい。

見かけによらず、かなりの大食いである。

歯軋りや寝相がひどいため、
起きている時よりも寝ている時の方が騒々しいらしい。
隣で寝ていたウエンツにドルフィンキックしたことがある。

女の人にも髭が生えるという事実を2006年末にJUNONスタッフに教わるまで知らなかった。


家族

父・母・弟の4人家族。
父親のことをとても尊敬している

徹平という名前の由来は父親の好きなマンガ「おれは鉄兵」から。
また「徹」という字は「何事も徹する人間になるように」という願いが込められている。
ちなみに、プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの鉄平外野手の名前の由来もこのマンガからである。

徹平の顔は母親似。笑顔は父親似。
何故母親に似ていないかというと、母親は心配そうな顔ばかりしているかららしい。

父親は大胆、母親は心配性。
徹平の性格は母親似らしい。

母親は掃除好き。
そのせいでお気に入りのドラゴンボールのフィギュアを捨てられたことがある。

3歳下の弟とは一度もケンカしたことがないほど仲が良い。
よく電話で仕事のアドバイスをもらっている。

俳優の京本政樹は、父方の親戚である。
しかし直接の血の繋がりはない。

宝塚歌劇団月組娘役の夏月都(88期)とは母親同士が姉妹(小池母が妹)のいとこである。


好きな芸能人

福山雅治・・・本人が目指す目標。
『1億3000万人が選ぶ!ベストアーティスト2006』(日本テレビ系)で初対面し、
福山は本人のラジオ番組で小池の事を「好青年」と語っていた。

コブクロ・・・「関口宏の東京フレンドパークII」(TBS)に出演した際にコブクロに関する問題が出題された。
またJUNONの撮影でコブクロと初対面した際、コブクロに『YELL〜エール〜』を歌ってもらい感激して号泣した。
その時徹平は「自分も2人のように人に感動してもらえるような歌を歌いたい」と語った。
徹平はお返しに『僕等の居場所』をギター片手に熱唱した。

山崎まさよし・・・『ミュージックステーション』(テレビ朝日)で共演した後、
楽屋で「ずっと好きでした!」とプロポーズした。
その時写真も撮ったが、ウエンツがそのカメラを落っことすフリをしたので「本気でどついたろか」と思ったらしい。
たまに、その時の写真を眺めているらしい。

今までで一番大変だった仕事はドラマ『ウォーターボーイズ2』で、
撮影期間は一週間のうち6日が撮影、1日はシンクロの練習と非常にハードなものだった。
また撮影まではほとんど泳げず、一人でジムに通って練習した。

WaTの2ndシングル『5センチ。』のPVにスノーボードのシーンが出てくるが、PVを撮影するまでスノボ経験は3時間だった。
ウォーターボーイズの時、今では想像もつかないほど日焼けで真っ黒だった。


テレビ

テレビ出演時などは基本的に標準語を話すが、たまに関西弁が出ることがある。
ウエンツ瑛士との会話は関西弁。


小池徹平オフィシャルブログ
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2006年12月27日

中田 英寿のウェブログ

(1977年1月22日-)
山梨県甲府市出身
元日本代表、イタリア・セリエAなどに在籍した元サッカー選手。
愛称はヒデ。

2006年7月3日、自身のウェブサイトにて、現役引退を表明。
現在世界各地を旅している。

小学3年、8歳でサッカーを始める。
幼少期から高校まではFWとしてプレー。
甲府北中3年時にU-15(15歳以下日本代表)に選出され、
アジアユース選手権(U-16)で世界への第一歩を踏み出す。
以後は全ての年代別世界大会(U-17世界選手権、ワールドユース、アトランタオリンピック、シドニーオリンピック)に出場し、
存在感を見せる。

韮崎高校時代、2年時に高校選手権に出場、一人だけ圧倒的な存在感を放った中田は1995年、
Jリーグ全12クラブ中11クラブからオファーを受け、ベルマーレ平塚に入団。
翌年にゲームメイク能力を買われてトップ下にコンバートされる。

各年代の日本代表において主力として戦ってきた中田は、
1997年、小倉隆史の離脱により日韓親善試合で日本代表デビュー。
1998年、ワールドカップ・アジア最終予選で苦しむ日本代表をワールドカップ初出場へと導く原動力となっていく。

20歳で日本代表選手としてのポジションを不動のものとし、
フランスワールドカップではチームの核となりグループリーグの全3試合にフル出場。
そのプレーは海外のクラブに認められ、11クラブからオファーを受ける。
後に21歳の若さでイタリアのセリエA・ペルージャに移籍した。

2002年、日本は記念すべき地元開催の日韓ワールドカップで決勝トーナメントに進出。
中田は弱冠25歳で精神的にもチームを牽引する中心選手として全4試合を戦った。

この冬のマーケットで、中田に甚大な信頼を寄せるカルロ・マッツォーネ監督率いるボローニャに移籍。
セリエAと日本代表戦の過密日程でグロインペインを発症するもセリエA残留に貢献した。
その後フィオレンティーナへ移籍するが、大きな故障をしてこなかった中田は、
回復の目算を見誤り思ったようなプレーが出来ず、現地ファンから酷評されることとなる。

2005年、28歳で7年間住んだイタリアを離れ、
イギリスのFAプレミアリーグ・ボルトン・ワンダラーズに移籍。
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦でセットプレーからプレミアリーグの初ゴールを記録する。
しかし日本代表戦の度にコンディションが落ちるなどでサム・アラダイス監督の信頼を得られず、
主にリーグ戦の途中出場とカップ戦に出場していたが、リーグ戦の終盤は5試合連続でスターティングメンバーとなり、
ドイツワールドカップに向けての試合勘に対する不安視を払拭した。

2006年6月、29歳で自身3大会連続3度目となるドイツワールドカップのグループリーグ全3試合にフル出場。
1分2敗で決勝トーナメントへの進出を阻まれたが、苦戦の中、第2戦のクロアチア戦ではマン・オブ・ザ・マッチに。
また、グループリーグ敗退国のベストイレブンにも選出された。

2006年7月3日、自身の公式HP上で現役引退を電撃表明。
現在、世界各国を旅する日々を送っているという。


プレイスタイル

ウイング、トップ下、ボランチなど、中盤ならどこでもこなすことができるが、
本人はトップ下でのプレーを好んでいる。
相手ディフェンスを切り裂くラストパスが最大の武器で、そのスピードとコースの正確性からキラーパスと称される。
フィジカルの強さ、ボディバランスの良さにも定評があり、ボールをキープし、
相手を引き寄せて味方がゴール方向に走る時間を作ってラストパスを出す、といったプレーもバリエーションの一つ。
戦術理解・状況分析と修正・コーチング・スペースメイキングなど、
目に見えないプレーのクオリティの高さも特徴でチームを引率しながら攻撃を組み立てることができる。
また、インサイドから出されるスピードと正確性の両方を兼ね備えたパスは、
世界でも数人しか出来ない高レベルのプレーであった。

日本代表では、トルシエ監督時代(1999年-2000年)3-5-2のトップ下で司令塔としてプレー。
ジーコジャパン初期(2002年)には4-4-2の2列目で中村俊輔と並んでプレー。
2005年6月、ボランチ小野伸二の離脱により、小笠原満男が2列目、中田は3列目から攻守に関わる
オールラウンダーのボランチとしてゲームメイクすることが多くなった。
チームメイトからは「中田は銀行。中田に預けておけば安心」と賞賛された。
また、近年は中村俊輔や小笠原満男に譲ることが多かったが、コーナーキックやフリーキックの名手であり、
主に鋭く曲がるボールを蹴る。




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2006年12月26日

桜塚やっくんのウェブログ

桜塚やっくん
(1976年9月24日 - 男性)
お笑いタレント、声優。
通称「やっくん」。

以前は本名の斎藤 恭央(さいとう やすお)で活動していたが、改名した。
神奈川県出身。
日本大学高等学校、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒。
トップコート所属。
血液型B型。
2006年に歌手としてもデビューした。


お笑いコンビあばれヌンチャクのツッコミ(場合によってはボケ)&絵描き&ネタ作成を行っていたが、コンビは解散。
芸を模索していたところ、オフィス★怪人社のIKKANにスケバンのネタをやろうと進言され、
「スケバン恐子」というキャラクターが作られた。
現在はこの桜塚やっくん(さくらづかやっくん)と改名し、「エンタの神様」(日本テレビ系列)を中心に活躍中である。

あばれヌンチャクとして活動していたことを知られたくなかったらしく、
うたばん出演時も石橋貴明らにしつこく問われたが自分では言わなかった。
しかし、ゲストで呼ばれていたコージー富田にあっけなくばらされた。

2002年にアニメ「満月をさがして」のオーディションを受け合格、
これをきっかけに声優としての活動をはじめる。
同作品では主役級のタクト・キラ役を演じ、その甘い声と繊細な役柄から若い女性のアニメファンを中心に支持を得た。
同番組の企画CDではタクト・キラ役で歌「ETERNAL SNOW」も披露している。
これが初めての歌の仕事であったことを、同時収録の声優対談で明かしている。

その後「やっくん」としてのブレイクもあり声優としては開店休業状態、
公式サイトにおいても全く触れられていないが、
本人はいくつかのインタビューで「人を喜ばせるのが好きだから、お笑いだけじゃなくドラマでも映画でもいい」
旨の発言をしており、「声優・斎藤恭央」の復活も視野に入れているようである。

昔ジャニーズJr.に所属していたこともあり、整った顔立ちをしている。
エンタの神様で、女性客から「やっちゃ〜ん」という声援が聞こえ「何でアタイの小学生時代の愛称を知ってるんだよ!」っと
突っ込み、自分で小学生時代の愛称を暴露した。
自身のブログでバンドをしていたことを語った。
その際には作詞などもしていたが、あまり真剣なものではなかったと記述している。


「スケバン恐子」
スカート丈の長いセーラー服(06年10月からスカーフが水色になった)、
竹刀、ロングのパーマかつらを装備した女装キャラクター。
一人称は「アタイ」。
コージー冨田に「あゆに似てるな」といわれたのをきっかけとして誕生。
関東スケバン連合の初代総長という設定。
舞台上から観客を指名しツッコミ役をさせるという芸風が評判となりブレイク。
2006年9月3日の「東京ガールズコレクション2006 A/winter」出演や、
映画「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」特命宣伝刑事にと、幅広いジャンルで活躍している。

ネタの内容は、スケバン恐子のボケに対して指定された言葉(例:「早いよっ!」「ダジャレかよ!」など)をツッコむというもの。

指名する観客の数は当初は3人だったが今は2人である。
観客を指名する際には、変わった呼び名を付けることがある。
女装キャラとしては異例の美形なため、女性ファンが多い。
観客に「カワイイ!」と言われると逆ギレする。
芸の内容上、ネタ時間の調整が比較的容易にできるため、生放送の帳尻合わせにも使われる。
大晦日のエンタの神様拡張版とも言える番組「輝け!今夜決定2005年お笑いネタのグランプリ」では
審査員が大賞を選考している間にネタを行っていた。



桜塚やっくんの見ないとがっかりだよ!!
posted by タレントウェブログ調査隊 at 17:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | あ〜な行 男性タレントのウェブログ
2006年12月24日

アウトロー&ゴキのウェブログ

アウトロー&ゴキ

あいのりカップル、アウトロー(本名:奥寺大)とゴキ(本名:森優理子)

歌舞伎町あーす新宿歯科の医院長と
ゲルマニウム温浴 うたた寝の森の店長さん。

2006年12月現在、
かなり頻繁に(1日数回)、ブログは更新されており、
いたって順調であることがうかがえる。



あーす新宿歯科 アウトロー&ゴキ
posted by タレントウェブログ調査隊 at 05:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | あ〜な行 男性タレントのウェブログ

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