2007年05月11日

日村勇紀(バナナマン)のウェブログ

日村勇紀(バナナマン)
日村勇紀(バナナマン)
(ひむらゆうき、1972年5月14日 - )

お笑いコンビ「バナナマン」のツッコミ担当。

広島県広島市生まれ、神奈川県相模原市育ち。

高校卒業後、芸人を目指して芸能界入り。
「陸上部」というコンビを組むが、解散。
友人の紹介で設楽統と出会う。

意外にもスポーツ万能、
上溝中ではテニス部でキャプテンをつとめていた。

芸人を目指すことを初めて父親に話した時は全く反対されず、
むしろ「他に何があるんだ?」と言われ、あっさり了承。

ブサイク顔が特徴。
マニアックなものまねが得意で、特に「子供の頃の貴乃花」が有名である。

髪型が男性自身に似せてあるため、TVで放送できないような酷い一発芸も多い。

髪型はおかっぱでかなりの垂れ目が特徴的である。


バナナマン・日村勇紀の『続・ホームラン』


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2007年05月08日

藤森慎吾のウェブログ

藤森慎吾
藤森慎吾
(ふじもりしんご、1983年3月17日 - )

オリエンタルラジオ(吉本興業所属)のツッコミ担当。
通称「しんご」。
相方は、中田敦彦。

1983年3月17日、長野県諏訪市に生まれる。

中学校の3年間は、親の都合で香港に住んでいた。
香港日本人学校中学部卒業。

駿台甲府高等学校を卒業、
明治大学政治経済学部に入学。

大学在学中、アルバイト先で知り合った中田敦彦と意気投合、
吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入校(東京10期)。

2003年8月1日、お笑いコンビ・オリエンタルラジオを結成。

2004年のM-1グランプリで、NSC在籍中ながら準決勝に進出、
『武勇伝』ネタで一躍注目を集める。

2005年3月、明治大学政治経済学部を卒業。


オリエンタルラジオ慎吾の 「TRATTORIA occhiali」
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2007年05月07日

ほっしゃん。のウェブログ

ほっしゃん。
ほっしゃん。
(本名:星田英利 ほしだひでとし、1971年8月6日 - )

吉本興業所属。
大阪府阪南市出身。
A型。
168cm・53kg。

上宮高等学校卒業。
元読売ジャイアンツ元木大介、横浜ベイスターズ種田仁の高校時代の同級生、
同じ野球部に所属していた。
元木はほっしゃん。が同じ野球部に存在していたことを知らない。

高校時代、3年間で5分もしゃべっていなかった。
中学時代の後輩にたむらけんじがいる。

芸名の「ほっしゃん」は矢部浩之(ナインティナイン)が
「星田英利やと普通やから『ほっしゃん』にしたらどうや。なっ、ほっしゃん」という提案で名づけられ、
末尾の「。」はつんくが命名。

吉本総合芸能学院(NSC)大阪校の9期生でナインティナインや矢野・兵動、杉岡みどりなどと同期。

もともとお笑い芸人になろうと思っていたわけではなく、
大学受験に失敗したことを父親から責められて「それならもっと困らせてやろう」とNSCの門を叩いた。

宮川大輔とコンビ「チュパチャップス」を組み、吉本印天然素材で人気が出たが、
天然素材の活動休止後は低迷。

「天然素材」時代、電気料金票を自宅ポストから抜いて電気代を代わりに支払ったほどの熱烈なファンがいた。

フジテレビの働くおっさん劇場では副音声として一番出演が多い。

1999年にコンビを解散、仕事が激減。

2005年、第3回R-1ぐらんぷり優勝。


ほっしゃん。 の「酒と涙とリクガメとウサギ」
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2007年05月06日

宮川大輔のウェブログ

宮川大輔
宮川大輔
(みやがわだいすけ、1972年9月16日 - )

吉本興業所属。
京都府京都市出身。

身長172cm、
血液型B型。
京都西高等学校(現:京都外大西高等学校)卒。
既婚。

1991年3月に星田英利(現・ほっしゃん。)とチュパチャップスを結成。
同年より「吉本印天然素材」に参加。

25歳で結婚。

1999年にコンビ解散。
解散後も元相方・ほっしゃん。とは舞台やテレビで共演をしている。

大阪NSC9期生でナインティナインとは同期。

現在はルミネtheよしもとの吉本新喜劇など舞台に出演している。

父親が桑原征平(元関西テレビアナウンサー)の同級生。
父親は喫茶店を経営していた。

事務所の先輩である宮川大助・花子の宮川大助とは同音異字。

母校が甲子園に出た際応援団だった彼は、NHKのアナウンサーにインタビューされ、
お名前はと聞かれて「宮川大輔」ですと真面目に答えたら、ふざけないで下さいと突っ込まれた経験がある。

最近はメガネをかけることが多い。
黒縁セルフレームでレンズが大きく、若干ゴーグルのような形をしている。
これはレーシックで近眼治療をした千原ジュニアの愛用眼鏡を貰ったもの。

2006年秋、『けっこう仮面ロワイヤル』(主演:小澤マリア)の悪役「くわえてかぶろう」のオファーを断った。


宮川大輔の365日
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2007年04月27日

森山直太朗のウェブログ

森山直太郎のウェブログ
森山直太朗
(もりやまなおたろう、本名同じ、1976年4月23日 - )

東京都生まれ。
セツナインターナショナル所属。
成城学園高等学校、成城大学卒。

母は森山良子、
異父姉はウクレレデュオPetty BookaのPetty(森山奈歩)。
かまやつひろし(ムッシュかまやつ)は従兄弟伯父、
長男かまやつ太郎(TAROかまやつ)は再従兄。
小木博明(おぎやはぎ)は義兄。

女優の木村佳乃とテレビ東京アナウンサーの水原恵理は、成城学園で小中高大学と同期、
木村とは成城学園初等学校時代、水原とは成城学園高等学校時代に同級生だった。

大学在学中から、主に吉祥寺公園でギターを抱えて歌う。
作詞は殆どの楽曲を御徒町凧と共作している。


インディーズ時代は「直太朗」として活動。

デビューについては母親である森山良子は知らなかった。

卒業の季節、シングルとしてリカットされた『さくら(独唱)』がじわじわと広まる。
口ずさみ易いメロディーで、全国各地の小中学校で合唱される。
当時、おぎやはぎにPVの出演を依頼したが断られた。
(おぎやはぎとは互いが有名でない時代からの旧知の仲である)

2003年12月31日、NHK・紅白歌合戦に『さくら (独唱)』で初出場。

2005年3月に開幕した愛知万博の開会式テーマソング『マザーアース』を森山良子に提供。

2005年4月1日より在京FMラジオ局J-WAVEの番組「OH! MY RADIO」のパーソナリティー。
(2005年4月〜06年3月は金曜、06年4月より水曜担当)

2005年12月31日、NHKの紅白歌合戦に『風花』で2度目の出場。
母・森山良子の『さとうきび畑』での番組史上初親子共演が話題となる。

2006年1月28日の『ミュージックフェア』「森山良子歌手生活40周年」では再び親子で熱唱。
曲中にコント的な演出も織り交ぜた。

平成18年度第73回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲「虹」を
御徒町凧とともに作詞作曲した(後にアルバムの初回特典としてセルフカヴァー)。

2007年1月12日、SPACE SHOWER Music Video Awardsの「POP VIDEO」部門に
「夢みたい 〜だから雲に憧れた〜」のミュージック・ビデオがノミネートされる。

親子二代のミュージシャンとしては共演の機会も多く、
単独で歌番組に出演する際も互いの話題を振られることが多い。


森山直太朗のウェブログ「おはよう!Tボーンステーキ焼けてるよ」
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2007年03月20日

平岡祐太のウェブログ

平岡祐太
(ひらおかゆうた 1984年9月1日 - )

俳優。
広島県生まれ、山口県出身。
身長178p,体重65s。
血液型O型。
アミューズ所属。

ギターは、13歳から始めている。
オリジナル曲の作曲とギターの速弾きが特技であり、
その経験を活かして学園祭でギター弾き語りを披露した。

FIFAワールドカップ(1998年)を見てサッカーを始める。

2002年 第15回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」グランプリ。

2003年 ドラマ『ライオン先生』で俳優デビュー。

2004年 第28回「日本アカデミー賞」新人俳優賞受賞(スウィングガールズ)。


平岡祐太 Blog hiraocafe
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2007年03月06日

恵俊彰のウェブログ

恵俊彰
(めぐみ としあき、1964年12月21日 - )

お笑いコンビ「ホンジャマカ」のメンバー。
鹿児島県鹿児島市出身。
血液型O型。
ワタナベエンターテインメント所属。


鹿児島県内有数の進学校・鹿児島県立甲南高等学校卒業後、
国際商科大学(現・東京国際大学)、早稲田大学を受験するも失敗。
二浪したが、結局進学を叶わず断念。

東放学園専門学校卒業後、お笑いの世界へ。

1988年、石塚英彦とホンジャマカを結成。
ツッコミ担当し、元々は小デブとして売り出したが、
ダイエットで20kgの減量に成功、痩せている方と言われる様になった。

近年はソロ活動が増え、
主にテレビの情報番組や音楽番組等の司会者として活躍。
特にTBS系の番組の出演が多く、
2004年9月から平日正午の時間帯において2番組連続で司会を担当。

俳優としては
大河ドラマ「毛利元就」や「サラリーマン金太郎」シリーズなどのテレビドラマにも出演している。

趣味はパソコン(Macユーザー)。

ホンジャマカライブのポスターを自分でデザインしたことも。
他には映画鑑賞など。

夫人は10名と大所帯だった頃のホンジャマカの初期メンバーだった。

兄は元鹿児島放送アナウンサーで
現在はビクターエンタテインメント代表取締役社長の恵貴宏。

1998年に放送されたフジテレビ「ロケットパンチ!」を皮切りに音楽番組の司会も多数経験する。

デビュー当時は電気グルーヴの石野卓球に似ていると言われる事が多かった。
逆に石野も恵に似ていると周囲から言われていたらしく、
初対面の折には、どちらともなく歩み寄り「似てるって言われますよね?」と意気投合したという。


Megulog
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2007年03月02日

柳沢超のウェブログ

柳沢超
(やなぎさわ すすむ、1967年3月7日-)

ジャニーズ事務所に所属していた元忍者のメンバー。
血液B型。
愛称は「超くん」。

趣味はゴルフ。
1985年、都立日比谷高校を卒業。


1982年の夏からジャニーズJr.として活動し、近藤真彦や少年隊のバックダンサーを努め、
1985年に少年忍者(忍者の前身)を結成し、リーダーとして活躍。

1990年に忍者に改名し、23歳でデビュー。

1993年に正木慎也と共に舞台「スサノオ」に出演、
柳沢自身この作品が初主演、そして唯一の代表作。

1995年に忍者の活動休止にともない、ジャニーズ事務所を脱退。
ジャニーズ脱退後、吉本興業に移籍、
現在はプロフェッショナルマネージメントに所属(今も所属しているかは不明)。

2004年9月から放送しているブロードバンド配信番組「TEPCOひかり荘」にレギュラー出演中。

2005年11月からプロダクション東京優勝に移籍。



ジャニーズ時代の参加ユニット

少年忍者(リーダー)
忍者
四銃士


柳澤 超・公式ブログ:ひとりごと部屋
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2007年03月01日

なすびのウェブログ

なすび
(1975年8月3日 - )

福島県福島市出身
お笑いタレント、俳優。

本名・浜津 智明(はまつ ともあき)。

趣味はお菓子作り。

福島東高校出身、最終学歴は専修大学法学部卒業。
血液型はO型。
ワタナベエンターテインメント所属。



芸名の通り、30cmの長い顔が特徴。
もともと喜劇俳優を目指しており、現在は舞台を中心に活動。

2002年に劇団「なす我儘(がまま)」を立ち上げ、座長をつとめる。

かつては、覇王樹(さぼてん)というお笑いコンビを組んでいた事もある。
当時は本名の浜津 智明で活動していた。

最近はテレビ出演のほとんどが出身地である福島のローカル番組。

久しぶりに
2005年にはドラマ『電車男』『TRICK新作スペシャル』などの全国放送に出演。

父は警察官。
自身も役者になれなかったら警察官を目指そうと考えていた。


1998年から1999年にかけて、日本テレビ系列で放映されたバラエティー番組『進ぬ!電波少年』の中で
「運だけが頼りの企画」オーディション抽選で合格し、
その後「人は懸賞のプレゼントだけで生活をしていけるか」をテーマに掲げて放送された「電波少年的懸賞生活」のチャレンジャーとなり、
アパートの一室に監禁され、その上で全裸という状況からスタートし、様々な懸賞に応募。

日本と韓国を舞台に
1年3ヶ月にわたってそれぞれの目標商品総額(日本では100万円、韓国では日本までの片道飛行機代の81万6000ウォン)をクリアした。

懸賞生活をテレビ放映していた事は本人には知らされておらず、気づかない間に有名人になっていた。

懸賞生活の日々を綴った「懸賞日記」も出版され、ベストセラーに。

また、「世界で最も長く懸賞生活を続けた人」としてギネスブックにも掲載。


ちなみに、終了後に行われた記者会見で、「また同じような企画があったらやってみたいですか?」の質問には、
「もう金輪際やりたくありません!」とはっきりと答えている。



なすび Blog
いきなりうるさいのでご注意♪
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2007年02月28日

羽賀研二のウェブログ

羽賀研二
(はが けんじ、本名:當眞 美喜男(とうま みきお))
(1962年7月21日 - )
フロムファーストプロダクション所属
旧芸名は羽賀健二。
沖縄県沖縄市出身。
父がアメリカ人、母が日本人のハーフ。
血液型はB型。

身長183p 体重68kg


多くの戦争犠牲者を出した沖縄で、敵国である米兵と日本人とのハーフとして生まれた彼の幼少年期は凄惨なものであった。
米兵の子を身ごもった事を知った叔父は、胎児を蹴り殺そうと母親を蹴りまくったそうである。

生活は極貧を極め、住まいは長らく電気店の納屋であった。
その為、早くから新聞配達をして家計を助けていた。

小学校時代は、ハーフで赤毛であることを理由に執拗なイジメに合う。
中学時代は、同様の理由で喧嘩を吹っかけられる毎日を送る。

国際学園高等部時代はバスケットボール部に所属し、インターハイ出場歴もある。

卒業後、1981年にミュージカル『ザ・ファンタスティックス』で芸能界デビュー。
また、劇男一世風靡の前身「劇男零心会」にも籍を置いていた。
(劇男零心会には参加していたが劇男一世風靡に参加していない。)

翌年フジテレビ系列の『笑っていいとも!』の初代いいとも青年隊に起用されたのを皮切りに、俳優・歌手として活躍。
かつて梅宮アンナと長期にわたって交際しており、お互いのヌード写真集を出すほどの熱愛ぶりだったが、
梅宮辰夫の反対や羽賀自身の見栄を張りすぎた性格が災いして借金(後述)など数多くの問題を抱えていた。
だが「誠意大将軍」と名乗り、梅宮パパや借金に対して誠意ある対応をしたことから次第に周囲から認められる。
しかし、梅宮アンナとは仲違いをし破局することになった。

2006年、元テレビ制作会社社員でここ数年のあいだ羽賀の身の回りの世話をしていた家政婦の女性と結婚。
梅宮アンナとの破局の真相や妻との出会い、そして結婚式の模様はフジテレビ「Dのゲキジョー」内で紹介された。


有名になった後も発表される生年月日がコロコロ変わった。
デビュー当時は1961年生まれとなっていたが、その後1964年生まれになっていたこともある。
近年は1962年生まれの発表に落ち着いている。

いいとも青年隊時代、楽屋で蚊に刺されて無性に刺された箇所がかゆくなった。
羽賀は血が多量に出るまでかいたあげく、しまいには焼きごてを自分で用意しその傷口を塞いだ。

自動車やレースが趣味で、日本自動車連盟公認の国内競技に出場するための国内A級ライセンスを取得している。

実質的は母子家庭であり、そのため母親想い。
母には家をプレゼントしている。

沖縄県北谷町のアメリカンビレッジにある「南国食堂」のオーナーでもあり、オープン時は不評であったが、
最近はそこそこ評判が良いようである。


KENJI's BLOG
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2007年02月26日

村中かずきのウェブログ

村中かずき
(むらなか かずき、1982年6月15日 - )

北海道出身。
本名:村中 一輝。

ダンスに定評があり、数々の有名アーティストのバックダンサーとして活躍していた。

2006年3月に、オーディションに合格し、
植野堀まことと共に「森田一義アワー 笑っていいとも!」の13代目いいとも青年隊として活動中。

氣志團のバックダンサー「紫SHIKIBU」の一員として活動しているとともに、
DJ OZMAのバックダンサーとしても活躍している。


村中かずき ウェブログ 〜前進〜
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2007年02月21日

そのまんま東(東国原英夫知事)のウェブログ

そのまんま東

東国原 英夫
(ひがしこくばる ひでお、1957年(昭和32年)9月16日 - )
現在、日本の政治家、知事(宮崎県知事・第17代)。

元お笑いタレント。
ビートたけし率いる芸人集団たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。
俳優、作家。
最終学歴は早稲田大学政治経済学部中退。
タレント時代の芸名は「そのまんま東(そのまんま ひがし)」。


1980年、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」というオーディションに、
「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、
同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1982年3月に付き人となる。

デビュー当初の芸名は「東英夫」であった。

直後、コンビの相棒が芸能界入りする目的であった、人気アイドル歌手河合奈保子を生で見たことで満足、
芸能界を辞めるということでコンビは解散、
やむなく京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、コンビを結成。
師匠たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらって「ツーツーレロレロ」と名乗った。

3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、
東は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもんとコンビを組んで「ツーツーレロレロ」を続ける。

人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。
1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消。

「そのまんま東」の名前の由来は、たけし軍団メンバー全員の芸名を変えるという宴席で、
自分だけ新しい芸名が与えられなかった東が「師匠。私は名前はどうなるのでしょうか?」と聞くと、
芸名を思いつかなかったビートたけしが「お前はそのまんま、“東”だよ」と最初は答えていたが、
途中でいたずらっ気を起こし、「だから“そのまんま東”だよ」と言い切り、これがそのまま芸名となったという。

テレビ番組で細木数子に「テレビに向いてない」と言われたことがある。

不祥事で芸能活動を自粛していた1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、
翌1988年にはTBSでドラマ化、
東自身もたけし軍団の面々と共に出演。
後に結婚することになるかとうかずこもヒロイン役で出演した。


不祥事で謹慎中に、入学した早稲田大学第二文学部では、
卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、
卒業後も同学政治経済学部に再入学して政治学を学んでいる。

官製談合事件で現職知事安藤忠恕が逮捕されことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。

東は、選挙活動にはタレント候補にありがちなタレントの応援を一切受けない作戦を立て、
「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。

宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したそのまんまマニフェストや
無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、
政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、
現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。

知事「東国原英夫」として選挙活動は
芸名の「そのまんま東」で行なったが、県知事に就任してからは本名の東国原英夫で活動している。
報道番組やワイドショーが連日報道したため、宮崎県の注目度が上がった。

東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域において、少なからず見られる姓である。

宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校時代はハンドボール部に所属。
大学は記念受験で早稲田大学、明治大学を受験したが、
地元紙の「大学合格者一覧」には名前がなかったという(本人は合格したと言っていた)。


一男一女を設けるが、16年目にして、
かとうが夫の宮崎県知事選出馬という夢についていけないということで、2006年2月3日に離婚。


新そのまんま日記!




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2006年12月30日

山口 勝平のウェブログ

山口 勝平

(本名:山口 光雄(やまぐち みつお)、1965年5月23日 - )
男性俳優、声優。
福岡県福岡市出身。
血液型はB型。
悟空所属。
劇団21世紀FOX所属。


『らんま1/2』(早乙女乱馬(通常時)役)、
映画『魔女の宅急便』(トンボ役)、
『犬夜叉』(犬夜叉役)、
『ONE PIECE』(ウソップ役)をはじめ、『DEATH NOTE』(L/竜崎役)、
『名探偵コナン』(工藤新一、怪盗キッド役)等、ミステリー・サスペンス作品への出演が多い。



デビュー前に、アニメのぬいぐるみショーにアルバイトで出演した際、
そのぬいぐるみの声優を担当していたのが日高のり子だった。

当時声優としてトップスターだった日高に「自分も声優になりたい」と語り、
後に『らんま1/2』で再会し、共演。
日高に語った夢を果たす事となる。

『らんま1/2』当時、新人だった山口に対して、
一部の原作ファンから「声のイメージが合わない」「演技に問題がある」等の厳しい批判も受けた。
この際、日高を始めとする先輩声優等に山口は励まされたという。

デビュー当時の山口は、技術的・精神的な面で、先輩声優であり、
相手役である日高に相談をして数多くの助言を受けていたという。

後に山口は「声優としての自分に深く影響を与えた人」として、真っ先に日高を挙げ、
「姉の様な存在」と尊敬の念を込めて語っている。
また『らんま1/2』を始め、数多くの共演をしている山寺宏一に関しても、
自分を叱咤激励してくれた先輩声優として、深く尊敬している事を公言している。

かつて日高が担当する『はいぱぁナイト』金曜の初期において、
『らんま1/2』でのイベント巡業で宿泊したホテルでの行動が原因で「早朝すっぽんぽん」と言うアダ名を命名されたことがある。

『らんま1/2』が、声優である山口にとって思い出深い作品の一つだった為か、
自らの長女の名前を『らんま1/2』のヒロインと同じ「あかね(漢字表記では茜)」と名付けている。

原作者が同一の高橋留美子作品である『犬夜叉』の収録では、
ヒロイン「かごめ」の名を「あかね」と言い間違え、相手役の雪野五月に叱られたという逸話もある。
また、鋼牙を良牙と言い間違えたこともある。

高橋留美子も『らんま1/2』での山口の演技を高く評価していたため、
『犬夜叉』アニメ製作時には「ただ一つのお願い」として山口を犬夜叉役に推薦した。

高橋原作のテレビアニメで主人公を2回演じた男性声優は山口のみ。

同じく2作で共演した辻谷耕史は山口を「天才的な集中力を持つ俳優」と評している。

日高のり子のエッセイ『のんこ』では、山口が挿絵を描いている。
今でも、日高に対しては頭が上がらず、日高の番組で半ば玩具扱いにされる事も珍しくない。






さるの王国
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